友川かずき
千羽鶴を口に咬えた日々[77]友川かずき
Harvest/Tokuma Japan(FIRST PRESS ORIGINAL)
秋田県山本郡八竜町川尻で生まれた。川尻地区には本名の及位姓の家が4軒ほどあり、同姓の及位ヤヱもこの地区の出身である。中学生時代に中原中也の作品に出会い、影響を受けて詩を書き始める。1年間浪人して、のちに高校バスケットボールの名門となる秋田県立能代工業高等学校建築科に進学。バスケットボールの練習に明け暮れた。NBAでプレイした田臥勇太も後輩にあたる。二十歳のころ、行きつけの赤提灯で岡林信康の歌を聴いてフォークシンガーを志す。1971年、全日本フォークジャンボリーに飛び入り参加。1974年3月、宇崎竜童に見出され、シングル「上京の状況」でデビュー。1977年[*夜へ急ぐ人]をちあきなおみに楽曲提供。同年のNHK紅白歌合戦でちあきが歌った同曲は大きな反響を呼ぶ。魂のフォーク・シンガー友川かずきのサード・アルバム [千羽鶴を口に咬えた日々 ]録音には天井桟敷からJ・A・シーザー(*若い方にはアニメ(少女革命ウテナ)の音楽を担当した人)が編曲家として全曲参加!! 本作は幻の名門レーベル、ハーヴェストより発売された三部作の第三弾傑作アルバム!!友川かずきほど、生と死について歌ったシンガーはいないのではないだろうか。名曲(生きてるって言ってみろ)を挙げることに異論を唱える人はいない
オープニング・テーマ
生きてるって言ってみろ
殺されたくないなら殺せ
記憶
どうした
なまはげ
俺のふるさとは犬の中にもある
八竜町の少年達
乱れどんぱん節
家出少年
死にぞこないの唄
*夜へ急ぐ人:ちあきなおみの楽曲で26枚目のシングルである1977年9月1日に発売された。作詞/作曲にはフォークシンガー、シンガーソングライターの友川かずきが起用された。この頃のちあきは本楽曲の他にもニューミュージックの歌手から提供された楽曲を多く歌っており前作ルージュは中島みゆき次作[あまぐも]は河島英五の作品である。1977年の『第28回NHK紅白歌合戦』では本楽曲が歌唱されたがちあきの狂気/怨念を孕んだ自身の歌手生活すら脅しかねない壮絶な歌唱ぶりに和やかだった会場の空気を一変させ歌が終わるや否や白組司会の山川静夫はなんとも気持ちの悪い歌ですねえ)と台本に無いコメントを発した今も語りぐさになっている伝説のシーンである。**果ては物真似のネタになった
やっと一枚目 1975
肉声 1976
千羽鶴を口に咬えた日々 1977 *
俺の裡(ウチ)で鳴り止まない詩(モノ)中原中也作品集? 1978
桜の国の散る中を 1980 *
海静か、魂は病み 1981
無残の美 1986
ここから先は
¥ 300
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?