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THE WHO

MY GENERATION[65]THE WHO

BRUNSWICK (UK Press Original) MONO

Roger Daltrey(Vo)
Pete Townshend (G)
John Entwistle (B)
Keith Moon (Dr)

1.Out In The Street
2.I Don't Mind (James Brown)
3.The Good's Gone
4.La-La-La Lies
5.Much Too Much
6.My Generation
7.The Kids Are Alright
8.Please,Please,Please (James Brown/Johm Terry)
9.It's Not True
10.I'm a Man **
11.A Legal Matter
12.The Ox

史上最高のロック・バンドのひとつ、The Who。観客を圧倒するライブ・パフォーマンス、ギタリストのPeteが主に作りだす珠玉の曲の数々は、デビュー後40年近く経ってロックンロールがロックへと変貌していった1960年代から21世紀の今に至るまで、第一線で活躍し続ける。
THE WHOは、ライブバンドとして知られ、演奏は初期から大音量で行われていた。オリジナル曲の多いバンドだが、結成当時は主にモータウン、R&Bのカバー・バンドであった。その後、Pete Townshendのクリエーターとしての才能が開花し、ほとんどの曲は彼の作詞作曲によるものとなる。ベース担当のJohn Entwistle もいくつかのすぐれた楽曲をバンドへ提供した。 バンドは、ステージ上の派手なアクションでも知られている。この頃の彼らはモッズ・ファッションに身を包み、ギターやアンプなどを次々を破壊していくパフォーマンスで若者たちの熱狂的な支持を受けていった。ギグの度に楽器を壊していた為、抱えた借金は相当なものだった。Roger Daltreyはマイクを振り回し、ピートは縦横無尽に飛び跳ね、腕を振り回してコードを弾いた(=ウインドミル奏法。風車弾きともいわれるこの弾き方はストーンズのキース・リチャーズのスタイルを参考にした)。Keith Moon は、全身を投げ出すようにドラムを叩きまくるその破天荒なプレイスタイルで、デビュー当初から評判だった。3人のアクションとは対照的に、ベースのJohn Entwistleは黙々とプレイし、バンドの動きに大きなコントラストをつけた。ステージ終盤には、ギターやドラム、機材などをステージ上で破壊したことでも知られる。こうしたステージパフォーマンスは、のちにパンク・ロックのアーティストら(セックス・ピストルズ、パール・ジャム等)に大きな影響を与えた。 ライブバンドとしての名声の獲得し得たのは、確かな個々の演奏技術であった。リードベースと言われるJohn Entwistle の高度なテクニック、全編フィルインとも言える手数の多い津波のようなKeith Moonのドラムは、他に類を見ない物であった。また、Pete Townshendのギターは、リズムギターとリードギターを合体させたパワー・コードといわれる奏法で、独自のスタイルを確立した。彼はまたフィード・バックをはじめとしたエレキ・ギター創世記の技術を積極的に取り入れる一方、アコースティックギターでも、非常にすぐれた演奏をみせている。Roger Daltreyのボーカルは、バンド初期はジェームス・ブラウン等、R&Bの影響を強く感じさせるものであったが、『ロック・オペラ “トミー”』の頃になると、ややハスキーな声質を生かした独自の唱法を獲得し、ボーカリストとしての評価を確立した。以降、彼は繊細さと力強さの振幅の激しいTHE WHO(Pete Townshend)の楽曲に極めてすぐれた解釈をみせ、今日に至るまで歌い続けている。 ほとんどの曲を作詞作曲したPete Townshendは、サウンド・クリエーターとしても評価が高い。クラシックの作曲技法である対位法を取り入れた『ロック・オペラ “Tommy”』などのドラマティックなロック・オペラ、シンセサイザーのシークエンスフレーズと同期させた演奏など、ロックの枠を広げる画期的な試みも多い。The Whoの40年以上に渡る長い歴史の始まりは、1957年にPete TownshendとJohn EntwistleがSchoolで出会ったことに遡る。同じ学年だった彼らは初め、ディキシーランド・ジャズのバンドを経た後、学内の他の生徒とThe Shadowsのコピー・バンドを結成。1962年、その前年の1961年に結成されたバンド「The Detours」のギタリストであったRoger Daltreyは、グラマースクールの後輩であったJohnをバンドに誘う。しばらくしてJohnが誘ったのが、同じ学校の友人であったPete。The DetoursはWest Londonのパブやホテルなどで精力的にライブを行い、セミプロとして活動する。しばらくして、Rogerはボーカルの座に収まる。1964年、同名の「The Detours」がいることが判明し、彼らのバンド名を「The Who」変更。その頃、バンドのドラマーが脱退。その噂を聞きつけたKeith Moonが、彼らが演奏しているへやってきて、その破天荒なドラムを披露、The Whoのラインナップが揃う。1965年1月、The Whoのデビュー・シングル「I Can't Explain」がリリースされる。Peteの作ったこの曲は、新人バンドとしては異例の最高8位まであがるヒット曲となった。引き続き、同年5月には2ndシングル「Anyway Anyhow Anywhere」をリリース。この曲も10位まで上昇し、The Whoの人気はLondonのみならず全英、そしてアメリカでも1stシングルに続いてトップ100位に入る健闘を見せ始める。11月には3rdシングル「My Generation」を発表。「年をとる前に死んでしまいたい-I hope I die before I get old (Talkin' 'bout my generation)」という若者の気持ちを代弁した衝撃的な歌詞、そして爆発するようなサウンドはたちまち評判となり、全英2位まで上昇。The Whoを代表する曲となった。若者の苦悩する心情を表したこの歌で、MODSたちの人気はもちろんのこと、若者の心をつかんでいく、それから間もなくShel Talmyプロデュースの元、1stアルバム『MY GENERATION』をリリースした。当時まだ自作曲を演奏するバンドがさほど多くなかった時代に、12曲中10曲が自作曲という画期的なアルバムである。このアルバムを最後に、1966年2月彼らは「Reaction」レーベルへ移籍する。この時の移籍時のトラブルから、プロデューサーのTalmyは以後5年間、The Whoのレコーディングに対する印税取得権を得たため、しばらくはBrunswickとReactionの二つのレーベルからシングルがリリースされる事態となる。

The Who - My Generation

People try to put us d-down (Talkin' 'bout my generation)
Just because we get around (Talkin' 'bout my generation)
Things they do look awful c-c-cold (Talkin' 'bout my generation)
I hope I die before I get old (Talkin' 'bout my generation)

This is my generation
This is my generation, baby

Why don't you all f-fade away (Talkin' 'bout my generation)
And don't try to dig what we all s-s-say (Talkin' 'bout my generation)
I'm not trying to cause a big s-s-sensation (Talkin' 'bout my generation)
I'm just talkin' 'bout my g-g-g-generation (Talkin' 'bout my generation)

This is my generation
This is my generation, baby

Why don't you all f-fade away (Talkin' 'bout my generation)
And don't try to d-dig what we all s-s-say (Talkin' 'bout my generation)
I'm not trying to cause a b-big s-s-sensation (Talkin' 'bout my generation)
I'm just talkin' 'bout my g-g-generation (Talkin' 'bout my generation)

This is my generation
This is my generation, baby

People try to put us d-down (Talkin' 'bout my generation)
Just because we g-g-get around (Talkin' 'bout my generation)
Things they do look awful c-c-cold (Talkin' 'bout my generation)
Yeah, I hope I die before I get old (Talkin' 'bout my generation)

This is my generation
This is my generation, baby


僕らの時代

だまらせようとする(僕らの時代だ)
ちょっと騒いだだけで(僕らの時代だ)
冷たい目でにらむんじゃねえ(僕らの時代だ)
老いぼれるなら死にてえな(僕らの時代だ)

僕らの時代だ
ほっといてくれないか

お願いだ消えてくれ(僕らの時代だ)
言ったことを真に受けるな(僕らの時代だ)
騒ぎを起こそうとしているんじゃない(僕らの時代だ)
時代が時代だしょうがない(僕らの時代だ)

僕らの時代だ
ほっといてくれないか

お願いだ消えてくれ(僕らの時代だ)
言ったことを真に受けるな(僕らの時代だ)
騒ぎを起こそうとしているんじゃない(僕らの時代だ)
時代が時代だしょうがない(僕らの時代だ)

僕らの時代だ
ほっといてくれないか

だまらせようとする(僕らの時代だ)
ちょっと騒いだだけで(僕らの時代だ)
冷たい目でにらむんじゃねえ(僕らの時代だ)
老いぼれるなら死にてえな(僕らの時代だ)

僕らの時代だ
ほっといてくれないか


1965年 My Generation (Brunswick)
1966年 A Quick One (Happy Jack) (Reaction)
1967年 The Who Sell Out (Polydor)
1969年 Tommy (Polydor)
1970年 Live At Leeds (Polydor)
1971年 Who's Next (Polydor)
1973年 Quadrophenia (Polydor)
1975年 Tommy (Soundtrack) (Polydor)
1975年 The Who By Numbers (Polydor)
1978年 Who Are You (Polydor)
1979年 The Kids Are Alright (Polydor)
1979年 Quadrophenia (Soundtrack) (Polydor)
1981年 Face Dances (Polydor)
1982年 It's Hard (Polydor)
1984年 Who's Last (MCA)
1990年 Join Together(ライブ盤) (Virgin)
1996年 Live at the Isle of Wight Festival 1970 (Castle)
2006年 Endless Wire (Polydor)


https://youtu.be/nMREjRFJkfM
 
マイ・ジェネレーション - Wikipedia

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