広島、芸備線沿い、築70年の家は、どう生かされているか。
芸備線、広島から県境を越え、岡山の新見市まで乗り通しの旅が終えて10日たった。
中国山地を、広島市内から、岡山県北西部の新見市、目指して縦断する、ローカル線の旅。詳細は、別のサイトに掲載予定なので、
ここでは、芸備線乗り通しの旅が、ワタシに意味することを、ツラツラ書いてみたい。
すでにブログ記事にしているように、ワタシは、広島で、母方の初孫として生まれ、芸備線沿いに、かあさんの実家があった。
曾祖父母と祖父母が、ひとりづつ去った後も、家だけは残り続けた。同じ町に住むひとに買い取られ、リフォームを重ねながら住み続けていらっしゃる。
家は推定70歳くらい。戦後、ひいおじいちゃんひいおばあちゃん、おばあちゃんおじいちゃん達が、新たに建てた家だ。
これは、ワタシにしたら、とても幸運なことだ。去年、そのご家族に、偶然お会いする機会があった。すると、数十年前にも、かあさんとその妹、つまり叔母が、家を訪ねてこられたことを話して下さった。
そして、また、その娘であるワタシ、つまり、おじいちゃん達の孫の世代が、再びその家を訪ねたのだ。奇遇である。
「すごくご縁を感じる」
と、その家に住む女性は、言ってくださった。現持ち主である、ご夫婦と、ワタシは10年くらいしか変わらない。
芸備線、広島行きの列車が発車する直前まで、昔話に明け暮れた。この時話したことは、宝物になった。
曾祖父母と祖父母の家系図、本家と分家、系図を紙に書きながら、話し込んだ。ワタシが、全く知らないことも多くあった。
家と街並みは、当時の面影を残して、世代を超えて生き続けているのに、みんなどこかに消えた。ひとより、家の方が長生きし続けている。