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近代デザイン史について(アート・アンド・クラフト運動編)


1.アーツ・アンド・クラフツ運動について


19世紀後半にイギリスで起こった美術・工芸・デザイン運動で、食器・家具・インテリア・衣服といった生活の道具を美しくしようという試みです。

19世紀、ヨーロッパ諸国では、産業革命が始まり機械により製品の大量生産の時代でした。そんな中で、イギリスで一つ運動が起こりました。それが、「アーツ・アンド・クラフツ運動」です。

主導者であるウィリアム・モリスは、機械によるもの作りを反対し、「手」によるもの作りを主張しました。


2.ウィリアム・モリスについて

デザインの父とも呼ばれていたウィリアム・モリス。
彼は、私たちの生活世界の感性や思考に関わっていることに気が付き、デザインによって生活世界の変革をしようとする考えがあり、実践したデザイン運動の最初の一人です。

ウィリアム・モリス

彼は、中世主義者のジョン・ラスキンの思想が頭の中に常にあった。

「芸術家と職人がいまだ未分化の状態にあり、したがって創造と労働が同じ水準におかれていて、人びとが日々の労働に喜びを感じていた理想の時代について出会った」

ラスキンの著者『ヴェニスの石』、「ゴシックの本質」

この考えが、モリスの心に感銘を受けさせた。ラスキンの思想を知るに及び、正しくモノが作られ、そのモノに心からの愛着が込められていた中世の精神に目を見開き、産業革命で出現した機械たちの大量生産の意味を異議申し立てたのです。


3.「レッドハウス」の設立から「商会」の運営までの道筋

「レッドハウス」(赤い家とも呼ばれている)はモリスにとって人生のターニングポイントでもあります。

このレッドハウスの建設はモリスのデザインのの活動による体験(自らデザインをして自らモノを作るということ)によって、その後、モリスのデザインに対する姿勢をはっきりと方向付けたことになります。

〜モリス・マーシャル・フォクナー商会を設立、だが解散してしまう〜

レッドハウスを設立してから1861年、モリスは「モリス・マーシャル・フォクナー商会」を設立しました。レッドハウスの建設により体験、実践してきたことを自分たちの生活の中にとどまることなく、事業をより広い社会化していこうという考えがあったのです。
レッドハウスを一緒にデザインをしてきた仲間たちと生活用品をデザインしていき、それを市場に送り出していきました。


「モリス・マーシャル・フォクナー商会」のメンバー  合計7人

  • ウィリアム・モリス

  • バーン=ジョーンズ

  • ウェッブ

  • チャールズ・フォクナー

  • ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ

  • マーシャル


しかし、この設立メンバーは資金に関しては、1ポンドずつしか出資せず、結局は、モリスのは母が出資するという出来事がありました。

この商会のモットーとは、『良き装飾』をすることであります。
『良き装飾』とはどういうことなのか?
→自然を間近にした時の生動感がみなぎり、かつ単なる自然主義に終わらせない様
 式感情を有していた。
この様な時に、この言葉が適用されます。

この商会では、壁面の装飾からステンドガラス、家具、金工に至る室内装飾とを両方とものデザインを取り組んでいました。
この時、モリス自身が最も力を注いでいることがありました。それは、壁紙や更紗(チンツ)のためのパッチンワークでした。

商会が数多く手がけて成功をおさめた分野は、ステンドガラスです。
画家バーン=ジョーンズの力量が十分に発揮されたデザインで、一見古風だが、堅実な家具類にも商会の特色が現れている。
大きな仕事でもあった「サセックス・チェア」と呼ばれる椅子は製作から1860年代後半から始まり、多くの人気を集めた作品です。
しかし、1875年には解散してしまいました。

サセックス・チェア

〜モリス商会が誕生〜

モリス・マーシャル・フォクナーが解散してしまいましたが、また新たに商会を設立しました。それが「モリス商会」です。
この商会で作られたものは、中世的なデザインのものが多かったそうです。

そして、商会の設立にあたって趣意の文章からモリスのデザインに対する考え方が読み取れます。

趣意書

まず、住居から公共の建物に至るまで室内で用いられる家具調度品をアーティストの手によって、またはアーティスト監督のもとに作るべきだと考えています。
これらから、モリスが家具調度品までを含めた全ての道具環境を、芸術と分離し得ないものとして捉えようとしていたことが分かります。

モリスは「総合芸術」としてデザインを考えようとしていました。
その考え方は、芸術と社会そして生活の統合という近代のアヴァンギャルドが描いたユートピアの夢と重なっていると言えます。
このように、モリスが生活環境を総合的に捉えてデザインしていこうとした背景には、産業革命が引き起こした機械の時代であり、貧富の差が極端時代でもあったにあった産業の時代でもあったからです。
この時代があり、モリスが講演で強調していたことは、ラスキンの思想の路線を引き継ぎ、作る側の喜びを取り上げた機械生産を「悪」とみなすことでした。
さらに、日々の労働、手仕事が創造の喜びに包まれたかつての時代を復興するために、モリスは社会変革に取り掛かる必要に迫られていました。
機械生産を「悪」と認識し、手仕事等で人間による労働を着目した考えは、モリスはデザイナーと生産者と消費者との有機的な関係を望んていたことが分かります。
機械は感情等はなく、機械と人間との労働の間には無機物的な関係であり冷たさが増すのをモリスは否定的だったのではないでしょうか。

〜ギルドが登場〜

モリスが設立した「商会」でのデザイン活動は「アーツ・アンド・クラフツ運動」の具体的な実践だと見てもいいでしょう。こうした活動の実践が広く影響されました。
1880年代には同様の活動を進めようとする人々が続々と現れました。

1882年には、アーサー・H・マックマドーを中心とした「センチュリー・ギルド」
1884年には、W・R・レザビーを中心とした「アート・ワーカーズ・ギルド」
      ウォルター・クレインらが中心とした「芸術労働者ギルド」
1888年には、C・R・アッシュビーを中心とした「ギルド・オブ・ハンディクラフ
      ト」
そして、1888年に「アーツ・アンド・クラフツ展示会協会」が結成され、共同の展示会を開く様になりました。

モリスの戦略は、これまでにない全く新しいデザインを作り出すことではありません。ゴシック的で総合化されたデザインをギルドに作り出そうとしていました。


4.モリスの抱えた矛盾

このように、レッドハウスからギルドまでの設立を追って説明しましたが、「アーツ・アンド・クラフツ運動」には矛盾が生じています。
それは、人々の手には渡れていなかったことです。一つ一つ人間の手でデザインをすることは時間がかかります。まして、産業革命の時代だったので製品は大量生産できる時代です。そのため、時間がかかり費用もかかったりで一般の人たには手に入りにく代物となっていき、一部の富裕層にしか手に入らないという状況を作ってしまいました。

日用品のデザインを通して人々の生活を変革し、社会も変革しようとすることがモリスの計画でしたが、それは、果たされませんでした。

5.まとめ

アーツ・アンド・クラフツ運動とは、モリスが人間よる人間だけが作れる温かみのあるデザインを創作していき産業革命であった大量生産時代の社会を変革しようとする思想から生まれたことがイギリスにとっての最初の運動でした。


6.最後に

次は、アール・ヌーヴォーについてまとめてみたいと思います。
お時間がありましたら、閲覧していただけると幸いです!
お読みいただきありがとうございました!!

<参考文献>

  • デザインの20世紀  

  • 世界デザイン史

  • デザイン史を学ぶ クリティカル・ワーズ


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