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2023.10.

気付けば10月ももうすぐ終わりで、日々の流れがとても早くてnoteのことはすっかり忘れていた。

最近はストレスなく穏やかな生活を送れていた。好きなことも始められて、ちょっとずつ世界を広げて豊かになっていた。

そして先日、義父が亡くなったという知らせがあった。
本当に急なことで、仕事から帰宅する途中に電話を受けた夫が帰宅して私に知らせてくれた時「嘘?!」と叫んでしまった。それくらい急だった。
義母だけでは不安だからと身支度を整えて病院へ向かった。住む県が違うので2時間はかかる。数日帰れないだろうから喪服やなんやらを急いで車に詰め込んで高速を走った。
2人して、どんなことを話せばいいかわからなかった。今後のことに不安が募って、でも急すぎてまだ実感も薄くて、職場へ急ぎ連絡を入れて、私の実家に電話をして、夫はただ車を走らせた。
22時ごろ、初めて行く病院はとても暗くてどこから入ればいいかもわからなくて迷いつつやっとで緊急外来の受付について名前を告げた。
夜間診療は小さな子どもを連れたお母さんが多くて、私と夫はそこで少し待たされてから面談室という小さな小部屋に通された。
泣き崩れる義母の背中が見えたとき、もうダメだった。
落ち着くまでの時間を病院の方が来れて、最初はもう誰もなにも言えなかった。義母の嗚咽だけが部屋で唯一聞こえた。意識したわけではなかったけれど、私はもう鼻を啜る音を立てることも出来なくて、ただ涙と鼻水とかが溢れまくって、家を出る前になぜハンカチを3枚詰め込んでいたがとても役に立った。
そこから少し時間が経って(もうこのころ時間感覚もおかしくなっていた)病院の方が再度部屋に来てくれて、亡くなった方と会われますか、と通された。
義母には部屋に残ってもらって、私と夫でそのベッドに通された。
緊急外来。
詳しくは怖くて見れなかったけれど、慌ただしい空気感がカーテンで仕切られていて、ピーピーと音を立てる機械がたくさんあるなか、義父のベッドはただ静かだった。
夫の目にみるみる涙が溢れるのを見た時、私は立っていられなかった。差し出された椅子に座ることもできなくて夫に縋った。
義父は間違いなく死んでいた。
急性大動脈解離だったと聞いた。

私は自分のおじいちゃんとおばあちゃんを亡くしているし、2人の遺体も見ていたのだけど、義父は過去の2人と比べて思い出も少ない分なのか、私が歳を取ったからなのか、より死というものを強く強く感じて、怖かった。急だったのも初めてで(今までは病気等で入院して、もうそこまで長くないですよと宣告を受けたりしていて、言葉は悪いかもしれないがこちらにも準備期間があったのだ)本当に怖くなった。
人は死ぬ。

そこからお葬式までは怒涛の3日間で、書き起こすにはまだ余力が足りない。
ただ、最後には義母にも元気が出てきたようで「こんなに急に死ぬなんて、義父には怒りたいよほんとに!」と笑っていたのはまだ良かったと思う。来週にも会う予定がある。当分はこまめに連絡を取ったり様子を見に行く予定だ。

緊急搬送されて義父が出た家に1番最初に入ったのが私で、あの時の空気はたぶん一生忘れられない。

1人が急にいなくなった空間。
明日も普通に生きている予定だった。デスクに自分好みに並べられたペンの向き、なにかのメモ、旅行の日程表、冷蔵庫に貼られたおせちの広告、ソファの足元には脱いだ靴下。食べかけのお菓子や最近始めた趣味のあれこれ、ぬいぐるみ。
翌朝に届いたAmazonの包み。

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