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⑧信仰(アイドル)を捨てることにした

■信仰を捨てることにした

この文章を2日間かけて書いた後、縁切り神社的な所に行って一連の儀式を行ってきた。

神社に行った帰り、「こんなに自分を苦しめてくる2号が憎い」という気持ちが初めてわいてきた。

別れは自業自得だと受け止めていたけれど、こちらの話を聞く前に即ブロックして完全にシャットダウンされたこと。その後に勇気を出して接触してもブロックされたことも。


辛い別れなんか、感傷的になって悲劇のヒロインポエマーにならないとやってられない。
今日は忘れかけていたのに、2号の好きだと言っていた曲を思い出してまたここに戻ってきてしまった。


会いたい
言葉にすると余計に会いたい

憎いよ、おまえのことが
おまえは去って行ったけど
ただの一日だっておまえを忘れたことなんてなかった、俺は

正直言うと会いたいけど
このあたりでお前を忘れるよ
その方が、お前を恨むよりは辛くないから


あれだけ好きだった韓国ドラマを見るのも嫌になったし、韓国料理も食べないし、楽しかった韓国語の勉強もやめてしまった。最初は「それはそれ、これはこれ」と分けて考えていたけれど、複数の外国人と接する中で「あぁマジで文化の違う宇宙人なんだな」と感じることが増えた。

わたしは自己主張が苦手で空気を読んでしまう典型的な日本人だ。
しかも日本人の中でも特に内向的で考え込みやすい。
だから自分の感情に忠実で、感情表現が豊かな外国人のことが羨ましくて新鮮だったけれど、【割に合わないな】と思った。

2号を忘れるために信仰を捨てることにした。
推しアイドルは、自分のアイデンティティの一部だった。
「趣味」という枠にはおさまらないくらいに重要な核だった。

メルカリでグッズをすべて処分した。

DVD、Blu-ray、推しのつけている香水、ぬいぐるみ、ルームウェア、スウェット...こうしてみるとあまりにも日常に推しが溶け込んでいる...

二重の別れがつらすぎる。

もうグッズを集めたり動画を見て時間を溶かしたりする日々は戻ってこないが、推しアイドルからもらった色んな感情、感動は確実にわたしの一部だった。

人は変わるんだ
俺も変わったように
この世の中に永遠なんてものはない
みんな通りすがりのハプニング

傷付いたっていいじゃん
時には辛いこともあるかもな
たまにはショックで涙を流すこともあるかもな
まぁいいじゃん
そんな風に生きたって別にいいだろ


2号の人生の本にわたしの名前が刻まれていたらいいのにな~~~~~なかったことにされたくない。嫌な記憶であっても、2号の人生に一瞬でも関わっていた存在として記憶されていたい。(捨てきれない未練)

しかし、1週間前に書いた2号との出会いから別れまでの文章を読んでも、「ふ~ん」となっている。
「恋しい」「憎い」「会いたい」「ふ~ん」を繰り返して、徐々に忘れていくんだろうな。

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