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農業技術 中洞牧場さんの本を読んで考えたこと

岩手県で自然酪農を営まれている中洞牧場さん著の『幸せな牛からおいしい牛乳』って本を読みました。テレビや雑誌などでよく取り上げられている農場なので、その名前を見聞きした方も多いと思います。

自然酪農とは、広大な山をそのままのかたちで切り拓いた牧場で昼夜、四季を問わずに牛を放牧する酪農スタイルになります。牛は誰に指示される訳でもなく、搾乳の時間になると勝手に山から下りてくる。野山に放牧された牛たちは自然に交配をし、自然に分娩と哺乳を行う。牛の生きるちからを信じた酪農です。

著者の中洞さんは牛飼いとして牛乳にまつわる暗部を憂い警鐘を鳴らしています。大資本や農協が主導して、畜産農家に押し付ける自然の摂理に反した製品基準、それに伴う畜産形態の変化。利益追従主義。

農業の抱える問題と根っこは、ほとんど一緒です。

自然を無視した効率化、合理化の追求。本来そこに在るべきはずの作物や牛への敬意を失った農業と畜産。その果てにナニがあるのか?僕も含めて、消費者が知っておかなくてはいけない事がたくさん書かれていました。

本を読んでいて『うんうん。そうそう。おなじだな』と思う記述がありました。中洞さん曰く、酪農技術と言うのは本来は必要のないことなのだ、と

適切な面積で適切な量の牛を飼い、適切な量と適切な質の搾乳をする限りにおいて、酪農の技術は要らない。と

経済性を重視して、狭い面積のなかで過剰な頭数の牛を飼い、無理をさせながら過剰な量の搾乳をする。その結果として、病気などのトラブルが多発する。それを補うために技術が必要になってくるのだ、と

本当にその通りだな、と思います。

農業の世界も利益を上げるために多肥を投入し無理を通します。結果、作物は病気や虫にやられてしまう。それを誤魔化す為に農薬を使います。現代型の農業では、農業技術≒農薬の散布技術みたくなっているのです。

太陽と土と水と作物のちからを存分に発揮させてあげられれば必要ないのに、与えられる分以上に欲しがらなければ、もっともっとと欲張らなければ、農薬は必要ないハズなんだけれど、でも、それじゃあ儲からない。人よりもたくさん採る事が農家の価値基準みたいになっしまっている。

たくさん収穫しないと単価は高くなってしまう。そうすると売れない。売れないと生活が成り立たない。だから化学合成肥料と農薬を使う。無理してたくさん採って、薄利多売をする。無理をさせれば土は弱る。土が弱れば作物も更に弱くなる。だから作物の声を聞かずに土の声を無視しながら農業技術で誤魔化して、更に肥料と農薬を投入する。悪い堂々巡りがはじまる。

でもさ、農家だけが悪いわけじゃない。安い安いがいちばん大事と、誰が望んだことなんでしょう?

考えれば考えるだけナニから手をつけてゆけばよいかわからなくなる。社会を急激に大きく動かすことなんてできない。でも、できないから諦めていいとは、ちょっと違う。社会は変えられないけれど、自分は変えられる。僕は世界はちいさな点でできていると思っている。ちいさな点の集合が世界を作っている。極小有機農家のちいさなちいさな点の僕。

百姓は、儲からないし割にも合わない。それでも、なんとかかんとか超低空飛行でも生活と再生産を続けていきたい。本当に吹けば飛ぶよなちいさな力。でもさ、そんな馬鹿でちっぽけな点が日本中に少しずつでも増えていけば、いつか世界はおおきく変わってゆくのかも知れない。中洞さんが歯を食いしばってでも信じる道を歩き続けてくれたように

それまでは僕もがんばってみる。。。つもり




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