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あ。わたしがわたしの欲求を忘れてたのね。

精神科の閉鎖病棟には、公衆電話が設置されており、患者さんはテレフォンカードを使って家族などに電話をすることができる。

夕方、電話の前には、あからさまにがっかりした様子のWさんの姿があった。「肩を落とす」という言葉がぴったりだった。

声をかけると、息子の文句を言い出すWさん。家に帰りたいけど、それが叶わず腹を立てている。
「ここに何年もいるわたしの気持ちをわかってない!」と。

「それは、悲しいね。まぁ、Wさんが育てた子どもやけどね。」
と言うと、
「そうたい。わたしが育てた。育て方間違えた。」
と、言いつつも、
「あんなに可愛がったのに。」
と、そう簡単には諦めがつかない様子。

Wさんにとっての希望って何だろうか。
物理的なことで言えば、「家に帰りたい。」という欲求があるのだろうが、きっと家に帰ったところで「こんなはずじゃなかった。」とも言ってそうだ。

「わたしは、いつ退院できるの?」

毎日誰かしらから聞く質問。

帰ればいつかの自分がそこにはいるような気がするのだろう。なんなら、その日のわたしが現実だと思っていて、何故今ここにいる必要があるのか理解できないのかもしれないな、と想像する。

理想が高くて視野が狭いわたしにとっても人ごとではない。

Wさんを前にわたしはどんな気持ちが湧いたから声をかけたのか。

あ。わたしが、一瞬でもたのしいと感じる時間を過ごしたかったのか。

Wさんとわたしが話していると、「どうしたの?」とKさんが近づいてくる。
「Wさんのこと見て心配してるみたいだよ。」
と伝えると、
「とんちんかん息子たい!」
とKさんに話し出す。
Kさんの顔を見るWさんの表情が、ふわっと柔らかく穏やかになる瞬間があった。

ふたりともに笑顔がほころぶ瞬間があって、それはほんの一瞬だったのだけど、わたしの胸もほわっと暖かくなった。

あぁ、関心を持たれたいよな、寂しいよな。
他の誰でもない自分が選んだ道とはいえ、そこにWさんに関心を寄せ、ほんの一部でも理解する人がいてもいいよな、と思う。


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