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そこは鳥籠の中だった

今日は、ひとのことアカデミー 探求クラス に参加した。
相も変わらず、あっという間の3時間。
参加者同士でお互いに協力し合いながら、自分理解を深めていく。
ひとりでは到底たどり着かないだろう「自分」の新たな領域に足を踏み入れる瞬間は、ワクワクするものだ。

今日のテーマは、《何かを手放すと必ずもっといいことがやってくる》。
わたしが握りしめているのは、「僅かながらにできること」。
僅かながらにできることをもって自分の価値を証明したい。なぜなら、その僅かながらにできることをもって人の役に立つことができ、安心を得ることができるから。
だが、それは僅かながらにできることゆえ、非常に部分的な安心しか得ることができない。
体の向き、目の向きを変えれば、そこには自分ができないことだらけ。できないことしかないといっても過言ではないくらい、自分にできることなんてたかが知れてる。
そんなことも知っているから、安心と同時にいつもつきまとう不安。
そこはやはり安心とは言いきれず。というか、そもそもわたしは安心を欲しているのかすら疑問に思えてくる。
心底求めているものはどんな感情だろうか。

安心があるそこは非常に部分的で、鳥籠の中にいるようなもの。鳥籠の中では安心かもしれないが、その外の世界があることを知っているから、「いつこの籠がこわれるのだろう?」「誰かにとっぱらわれたらどうしよう?」と結局のところ安心と同時に不安なのだ。

「じゃあ、籠を外したら?」と講師がいう。
「自由になる。」とこたえた。

ただ、わたしは自由とは何かをしらない。
好き勝手にできることではなく、自由に振舞うことでもない。どこか遠くへ行けることでもない。
自由とは?
「籠の外の世界」
「未知」
「想像がつかない」
ということは知っている。
自由とはどんなものなのか、ただただ体験していこう。

籠の中でのルールは通用しない。
でも、もっているものを使えるかもしれない。
全く通用しないかもしれない。

知っている世界なら、それはまだ籠の中。

今朝、選択肢というテーマを掲げていた。
平和的解決というのを選んでいたのだが、現実世界でのそれはどういうことだろう。


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