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許すということ

今日は、ひとのことアカデミー探求クラスに参加。

テーマは、許せないことを明らかにして、許すこと癒すことを知る。

わたしが許せないことは、「満足すること」。
仕事とパチンコの往復、たまに家族と遊びに行ったり旅行に行ったり。そんな生き方をしている父を許せなかった。そして今も許していないことを知った今日。
わたしは幼少期から小学校低学年くらいまで、日常の中に父がいる生活を求めていた。ワンオペで育児をする母親に余裕がないことで、家の居心地が悪かったから。
父親の協力があれば、母親だってもっと穏やかなはずだと思っていた。

だが今振り返ってみると、祖父が運動会に来ることもなければ、一緒に出かけることもないような家庭で育った父にしてみれば、たまに出かけたり旅行に行くだけでも十分家族らしいことをしていたのかもしれない。父にとっては満足だったのかもしれない。
どんな風に家族と関わればいいのかを知らずに困っていたけれど、困っていることすら自覚がなかったのだと思う。

自分の両親や兄弟とは叶わなかったことを母やわたし、弟という家族を持って叶えられたことがあったことが父にとってしあわせで満足だったならいいな。今のわたしはそう思う。

わたしが自分に対して「満足すること」を許せないのは、満足がゴールだと思っていることと、自分にとっての満足が何なのかを明らかにしていないことが理由。

心から満足だと感じる瞬間は、先日のグループホームでのできごと。

入居者Nさんの世界観をともに楽しみ、互いに嬉しかった。そんな瞬間にわたしは満足を感じる。

そして、実際のわたしはそれがゴールになっていた。
“いつでもどこでも誰とでも”と、拡げることが次の満足へ繋がっていることをすっかり忘れていた。
観察力を磨くとこんなことに気づく機会も増えるのだと、ご褒美のような満足が準備されていたのだ。「もっと欲を出して、観察力を磨くのだよ!」というメッセージだったのかー。

もうひとつ。
ドラマや映画の中のセリフを実生活の中で使うこともわたしにとっての満足だ。
今日もこの探求クラスの最中に、先日観たドラマで表現されていた言葉を採用した。
わたしは表現力が乏しい。そんなわたしは、映画やドラマを観て、相手の心に届くようなセリフや相手の理解が深まるようなセリフに惚れ惚れするし、美しさを感じる。
自分にはないけど、美しい表現を見つけることは好きだ。見つけるだけで満足していたが、本当の満足は、わたし自身がそんな言葉を使って自分の周りの人たちに自分の想いを届けたり、互いを理解し合うこと。

満足することは人それぞれ違う。
自分にとってのそれがわからなかったこと、いやわからないことにしていたことが苦しかったね。

満足することを許せないわたしがいたら、「今のわたしにとっての満足は何?」と問いかけよう。

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