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おにぎりの人。

会社の昼休憩に食べるために、おにぎりを持って行っている。

私は夜勤の仕事をしているので、正確には「昼」の休憩ではないのだが(夜9時くらい)、時間になると「お昼行ってきて〜」と声がかかる。最初の頃はちょっと変な感じがしたけれど、今はもう慣れてしまった。

食べ過ぎて眠くならないように、おにぎり一個だけにしているが、結構体力を使う仕事なので具は食べ応えがあるものを入れている。

定番はウインナー。これが意外と美味しくて腹持ちもいいのだ。私のウインナーおにぎりは、サランラップの上に白ごまと塩を適当にパラパラと、その上にあたたかいごはんを平らに広げ、フライパンで焼いたウインナーを丸ごと一本のせる。それをラップで包んで完成だ。簡単過ぎるほど簡単。

ウインナーを切らしている時は、ごはんの上にとろけるチーズを敷いて、そこに余ったカレーをのせたり、煮卵をそのまま一個入れたりする日もある。

ごはんで包めば、なんでもおにぎり。ごはんの包容力ってすごい。

今、吉本ばななさんのエッセイを読んでいるのだけれど、読み進めるほどに吉本さんは自分の口に入れる「食」をとても大事にしているのだなぁと感じる。

体に良いとされているものだけを選んで食べるというのではなく、自分が心地よく食に向き合える塩梅を常にちゃんと考えている人なんだと思う。

本の中に、2016年に亡くなった佐藤初女はつめさんという方のおむすびの話が出てくる。

佐藤さんは、食を通した癒しの力を信じて活動をされていた方だ。森の中の小さな家に、悩みや迷いのある人を迎え入れ、おむすびや素材の美味しさを生かした惣菜を作り、共に食卓を囲む。青森県・岩木山の麓にあるその家の名は『森のイスキア』。

「初女さんがおむすびを握っている動画を見るだけで、心の中になにかすばらしいことが起きる」とあったので、それはどんなおむすびなのだろうと私も知りたくなり動画を探したら、YouTubeで見ることが出来た。

初女さんの言う「ごはんの一粒、一粒が呼吸できるくらいの圧」で握られたおむすびは、本当に美しく、ごはんと海苔と梅干しの究極の形ってこれなんじゃないだろうかと思えるほどだった。そして、なんとなくだけど「おにぎり」じゃなく「おむすび」の方が、なるほどしっくりくるなという感じがした。


最近Amazonプライム・ビデオで見た『僕らの食卓』というドラマには、どデカい爆弾のようなおにぎりが出てくる。

人と食事をするのが苦手な主人公が、昼休みに一人で公園で食べるために作るおにぎりなのだが、好きな具を聞かれた彼が「唐揚げと卵焼き」と答えるシーンがあって、なるほどそういうのもアリだなぁと思った。

主人公は公園で出会った歳の離れた兄弟に、なぜか「おにぎりの作り方」を教えることになるのだが、幼い弟は最初、名前の分からない主人公を「おにぎりの人!」と呼ぶ。

「おにぎりの人」って、なんかいい響き。

おにぎりを握る人は、みな「おにぎりの人」。きっとその数だけいろんなおにぎりがあるのだろう。

私が今まで食べた中で一番のおにぎりは、小学生の頃、運動会のお弁当に入っていた母が作ったおにぎり。

昔から母はいつも仕事で忙しそうで、しかも料理が苦手な人であった。

なので我が家の食卓にはスーパーの惣菜が並ぶことも多かったし、学校の給食室が工事の為しばらく給食が休みになった時、みんながお弁当を持ってくるなかで私だけずっと菓子パンだったなんてこともあったけど、運動会のお弁当だけは毎年ちゃんと作ってくれていた。

母のおにぎりは小学生にはちょっと大きくて、海苔はしょうゆに浸してから巻いてあった。(私は結構な大人になるまで、おにぎりの海苔はしょうゆに浸してから巻くものだと思っていた)

しょうゆが染みて、ごはんがうっすら茶色くなった、忙しい母が私の為に握ってくれたおにぎり。

それは私にとって最高の味で、今後もその味を超えるものはないと思っている。

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