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私の掃除観

最近はわざわざnoteに書くようなトピックが無いため、掃除や部屋の汚さに対する私の価値観を話そうと思う。誰が興味あるの

前提として、自分の部屋、または一人暮らしに焦点を当てている。

端的に述べると、あからさまな不都合が生じるまでは無理に掃除する必要は無いというのが基本理念である。うつ症状を持つようになってから、私も例に漏れず部屋が汚くなった。出したものを元の場所に戻せない、ゴミをゴミ箱に捨てられない、服を仕舞えない、など。そして、それらをまとめて整理したり掃除したりする気力が湧かない。もちろん部屋は散らかっていく一方であるが、私は気がついた。

いつか掃除するんだから、まだ大丈夫。いくら散らかしてもそのときに結局リセットされるのだから。 

無敵である。あと、自分の部屋なら人様に迷惑がかかることもない。この方針になってから、掃除の頻度は約2ヶ月に1回。というか決めている訳ではなく、心の余裕や時間、何かのきっかけがあって身体が掃除をする気になるときが必ずくる。少なくとも私は。それが約2ヶ月の周期である。そして、一度掃除ができれば今までどれだけ散らかっていても全てリセットである。つまり、毎日掃除している人と同じ土俵に合流できるのである。こう考えると、無理に身体を奮い立たせて嫌々掃除をすることがいかに修羅の道であるかが分かる。もちろん、掃除をルーティンとし、それを守ること、継続することに自己研鑽という価値を見出している人は素晴らしいと思う。こういった人のことを否定している訳では無い。しかし、現実主義である私としては、掃除の成果と労力や費やす時間を天秤にかけたときに、定期的に掃除をするという結論にはならなかった。しばらくこのスタンスでやっているが、今まで掃除に費やしていた時間が浮くし、掃除への義務感がなくなったためストレスや焦りもなくなった。それでいて目立った障害を感じることは全くない。むしろ散らかっていくうちに使用頻度の高いものが手元に集まってくるため快適とも言える。わざわざ片付ける意味ってあるのだろうか、という境地にまできた気がする。

掃除ができずに部屋が散らかっていき焦りを感じている人、それでいて億劫で取り掛かれない人は、いっそ開き直ってみてはいかがでしょうか。



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