救急車の音が聞こえるとドキドキする
私の住む東京湾最奥の人工海浜がある町は巨大団地が連なる中にあるで、朝と夕方救急車のサイレンが多い。こんなにも多くの人が救急搬送されているのだろうか?という危機感と明日は自分の番かと思わされる。病院に搬送され一命をとりとめる人も多いのだと思うが、残念ながら亡くなる方もその中に入るかもしれない。
これが、医療先進国の現状だと毎朝毎夕思わされる。
私の母も昨年3回救急搬送されている。これは、母が入居している施設の判断で救急搬送の必要があるとのことだったが、いずれのときも親族なので私に連絡が来て判断を仰がれる。救急搬送のかいあってか、現在も私の母は存命である。人の命が何よりも大切になったのは終戦後数十年たってからのように記憶しているが、この医療の現実を維持することがどこまでできるのか?本当に必要なのか?疑問に思う時がしばしばある。人の死は突然やって来ることなので、そのときの対応や資金面で万全を期することは難しい。
まして現在は、高齢の一人暮らしの方も多い。一人暮らしでは、もしもの時に自分では、救急車も呼べない。私の住んでいる棟は高齢者の一人暮らしも多い。二週間ほど前から三戸離れたドアに入居用の水道とガスの案内が下がっていた。何があったのかはわからないが、そこに住んでいる人はいなくなったということだ。人と人の繋がりが希薄になっているが、かなり気味が悪いことも現実だ。私自身も何があるかわからないだろう。その時どうなるのか私にはわからない。
施設で聖愛kつしている私の母には「長生きしてください」というしかないのが現状だ。