プロレスは格闘技と言えるのか?

今回は歴史の話ではなく、プロレスは格闘技と言えるのか?といった内容で話を進めていきたいと思います。私は高校時代にプロレスラーを目指した事がある程かつてはプロレスが好きでした。ただ熱心なプロレスファンだった当時友達にプロレスが好きだと言うと大抵「プロレスってあらかじめ試合の結果が決まっているんでしょ?それって格闘技って言えるの」と言われたものでした。確かに現在人気の新日本プロレスの試合やDDTというエンターテイメント色が強いプロレス団体の試合等は試合前に戦うプロレスラー同士が入念に打ち合わせをして試合に臨んでいる可能性が高いと思いますが、高校時代の僕が憧れ入団してみたいと思ったプロレス団体は今はなき格闘探偵団バトラーツという団体でした。バトラーツはプロレス特有のロープワーク等の応酬やブレーンバスターやパイルドライバー等の協力技もなかったので極めて競技性が高いプロレスを展開していたと思いますし、試合前の打ち合わせも最低限に限られていたのではないか、と思っています。そのように格闘探偵団バトラーツに憧れてプロレスファンとなった歴史もある為、私は自信を持ってプロレスは格闘技であると言い切る事が出来ます。且つ私はファンとしてバトラーツを観ていただけでなく、高校三年生の時にとあるプロレスラー養成所に入ってプロレスラーの練習生ともなったのでその体験からプロレスの格闘技的要素を紹介したいと思います。まずプロレスは現在ではプロデュースレスリングの略の如く演出の要素が強くなっていますが、元々はイギリスで発祥したランカシャーレスリングを土台としており、文字通りプロフェッショナルレスリングであったのです。ランカシャーレスリングは関節技、寝技を駆使したスタイルで今のアマレスよりも技が多彩で激しいスタイルだったと言います。私が通っていたプロレスラー養成所はそんなプロレス原理主義のランカシャーレスリングを練習内容に取り入れていた為、スパーリングが何よりも重視されました。私はそこの練習生になるまで格闘技経験がなかったのでスパーリングではコテンパンにされましたが、「参った」と相手の先輩にタップしても身体を放してくれる事はなく、口を手や腹で塞がれて呼吸が出来ないようにしてイジメる「ラッパ」と呼ばれるしごきも体験しました。昭和の新日本プロレスや全日本プロレスの練習ではそんなしごきが盛んに行われていたようですが、今のプロレス団体ではそもそもそんなにスパーリングもやらないみたいですし、まして「ラッパ」なんて行われてはいないようです。プロレスに詳しくない人等は「プロレスはスポーツ競技じゃなくてショーなんだからそんなスパーリングのしごき等要らないではないか?」と思うようですが、プロレスラーにとってスパーリングの練習はセメントと呼ばれる打ち合わせが完全に壊れた不穏試合に対応する上で必要になって来るのです。またプロレスには受け身の練習も必要になって来ますが、これも格闘技の要素の一つでしょう。格闘技では相手に攻撃を与えると同時に自分の身を守る術も大切なはずです。受け身が必要とされる格闘技には他にも柔道等がありますが、プロレスの場合は多種多様の受け身があり修得するのは大変難しいのです。私もこのプロレスラー養成所では習いませんでしたが、社会人プロレスのサークルに入った時に後ろ受け身の練習に難儀して挫折し辞めてしまった経験があります。プロレスの受け身はちょっと間違えると大怪我に繋がるので非常に怖いのです。このようにプロレスは不穏試合に対応するためにスパーリングの練習も必要ですし、護身術のように受け身も習得しなければならないので、エンターテイメントの要素はありつつも基本的には格闘技であると言えるのではないでしょうか。故にやらせとか有名人の予定調和の対立等の出来事があった時にそれに対して「あれはプロレスだから」なんて言うインフルエンサーやタレントがいますが、プロレスに関してそれは失礼ですし全く的を得ていない発言だと言わざるを得ないと思います。プロレスラーは肉体を使って人に夢を売る商売なのですから、誰にだって出来るものではないはずです。今のプロレスラー達には選ばれた職業としての自負を持ってプロレスをしていって欲しいと思います。

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