私のくせに生意気…か?面倒面倒と言いながら繋げる。そんな正論。
何者でもない自分は、このままで生きる事でさえ随分恵まれてきたし、ラッキーな上に、大切ないくつもの出会いや体の丈夫さや「普通」に住んでいる事だけでも本当に幸せだと思っています。
でも昔からもっと出来そうな気がしては何も出来ない、という所があります。「私くらいになればまぁ、出来るわ」と根拠のない自信めいた変な傲慢さがあるのに、いざやってみると手応えも周りを動かす能力もあまりありません。
実力が合っていない、能力があまり無い。
例えば、幼稚園の仕事をしていて、すごくこの仕事が好きだし、子ども達を想う気持ちは誰にも負けないと思っているのに、子どもたちと上手に遊べないとか、久しぶりに会った卒園児が遊びに来てくれたのに、全然会話を弾ませられない、とか。
「もっと気の利いた事が言えないのか」
そんな風に思いながらも「学校はどう?」とか、明らかに頑張ってるはずのその子に「どう?頑張ってる?」なんて、意味が無いような気がしてしまいます。
虫取りに行こう、と言ってもバッタを見た途端に竦んでしまうし、登園時に泣いている子をお母さんから離すのも、上手な言葉がけが出来ません。
それなのに、どこか分かったような、使えない理屈が多いのは、正義を建前にするのは、「不誠実」。
空虚。
沈黙。
白々しさ。
経験不足。
もっと地に足の着いたものにするには、どうしたらいいかな。
去年から大切にしている失敗という経験。
実働。
味わい。
フィードバック。
目的地を決める。
あー、面倒くさいや。
自分を待つのって、面倒くさい。
自分でしか、出来ないのに。
飛び越えたり、先回りなんて、本当はしたくないのに、それでも面倒臭い。
(笑)でも、まだ諦めてないらしいです。
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