『聖なる人であれよ!聖霊の器であれよ!』レビ記19章2節

『聖なる人であれよ!聖霊の器であれよ!』

主はイスラエル(神が支配する民)の全会衆に呼びかけ給う。

「主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖となるであろう」
レビ記19章2節

キリストの聖霊のバプテスマは肉なる私たちを霊化し『聖』となし給う。

「木の根きよくばその枝もきよからん」 ロマ11章16節

「神の子イエスの血は
全ての罪より我らを潔む」と、

ヨハネ第一、 1章7節

これ
十字架の秘儀である

まさしくイェシュア、キリストこそ『聖そのものなるお方』

私たちはこのお方の懐に逃げ込み、
このお方から神の子としての血液を血清されることなくしては、この神のご負託にお応えする道はないのだ。

ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわし給えり。ヨハネ伝1章18節

同種族の霊はつねに他の細胞に対しても代償的な生命関係をもつ。

もし私たちの幕屋の友に、聖霊の交流せぬ病める霊魂あるならば、

「我が身をもてキリストの患難〈なやみ〉の欠けたるを補う」ほどに
愛の疼痛〈いたみ〉が私に感ぜられてこなければならない。

省みよ、友の霊魂を! 

ここに祭司の国、聖なる民族がイェシュアの御霊によって、建ち上げられてくる『聖なる神の国』の秘儀があるのだ。 アーメン🙏

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