聖霊の火に燃えよ!

聖書の宗教は、長い間、儀式としては、犠牲の燔祭を献げ、イスラエルの民はこの火の中で神と交わっておりました。犠牲の家畜が焼かれているとき、民は一切の火を使うことを禁じられて、ただ祭壇の上の火だけは、絶やさずに燃つづけた。この火の中に意味するところを霊的に感じとったのが聖書の宗教でした。

この火の中に立ち現われた神、その声に撃たれてモーセは一変しました。神の人モーセに打ち変えられました。「火」という言葉をもって、最もよく信仰を象徴できます。新旧約聖書の根底をなしておる思想は、この「火によって始まった宗教」ということです。
 昼は雲の柱、夜は火の柱となってイスラエルの民を導いたのがエホバの神様でした。真っ暗な荒野をゆくとき、燃ゆる火が無ければ、光もありません。「太初(はじめ)に神、天地を創り給えり、神『光あれ』と言い給いければ、光ありき」(創世記)というとき、火が光の始めであった。これ、物理的な火を指すのではなく、宇宙の根底に、根源となる火がある――宗教的な意味における火です。

『聖書の宗教は、創世記以来、喜びと情熱と火をもって行動する人々の出来事』として、つづられています。


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