モレク(ミルコム)信仰
『イスラエルの人々のうち、、、だれでもその子供をモレクにささげる者は、必ず殺されなければならない。すなわち、国の民は彼を石で撃たなければならない。』(レビ記20章2節)
あなたがたの前からわたしが追い払う国びとの風習に、あなたがたは歩んではならない。彼らは、このもろもろのことをしたから、わたしは彼らを憎むのである。(同20章23節)
わたしはあなたがたを聖別する主である。
(同20章8節)
あなたがたはわたしに対して聖なる者でなければならない。主なるわたしは聖なる者で、あなたがたをわたしのものにしようと、他の民から区別したからである。(同20章26節)
エレミヤ書7章20節〜34節
「モレク信仰」
またベンヒンノムの谷にあるトペテの高き所を築いて、むすこ娘を火に焼いた。わたしはそれを命じたことはなく、またそのようなことを考えたこともなかった。(エレミヤ書7章31節)
「幼児犠牲」は主の強い嫌悪感の対象でした。堕落した人間の魂の奥底に深く関連した事柄といえます。
それ(幼児犠牲)は人間の側からなされる神に対する献身的行為であり、最大の犠牲的行為であるとカナンの先住民の間では思われていました。
それによって神の愛顧と祝福を勝ち取ろうとする行為なのです。
しかし、主はこれに対して強い嫌悪感を示しているのです。
子どもを犠牲とした場所は、「虐殺(ベンヒンノム)の谷と呼ばれ、イスラエルの民がその敵によって虐殺される場所となるという、恐るべき災いが預言されています。
(エレミヤ7:31~34/19:6/32:35)
モリヤの山でのアブラハムとイサクの出来事は、この幼児犠牲に対する聖なる神からの『それはならぬ』という警告の予兆でもありました。
(創世記22章12節)
あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげてもあなたは喜ばれないでしょう。神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。
(詩篇51篇16〜17節)
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