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3度目の正直…やっとあと一ヶ月で出産って時に ⑥


1995年1月17日5時46分
阪神淡路大震災




実家でひと月後の出産に備え
半年前から相変わらず

のんびり実家に入り浸り

自分の部屋で地震に遭った


3度目の正直って言う期待と
産まれるまでは何が起こるか
わからない不安で


おなかが透明だったら
安心なのに…


どこか不安な毎日を過ごしていたが

暗闇の早朝、関東で度々起こる地震の経験とは比べ物にならない揺れ

どれだけ揺れるの?!?


聞いた事もない音と上下の揺れが
長く感じて

『コレ?現実?』

恐怖すぎて一瞬、夢か現実か
わからなくなる

息する事も忘れて氣を失いそうな寸前でも
なんとか『おなか守らなきゃ
頭も!』冷静な自分もいた


時計、額縁、天井から下がった照明
慣れた自分の部屋

上からの落下に氣をつけ
お尻でズレながら部屋の真ん中に

暗闇の中
夜中にゴルフに向け
転勤先へ早目に出発した
夫の布団も丸め、おなかだけ守った

これ以上揺れるともうダメ!!
精神状態もギリギリ境目って思った


「ダメと思えたなら…
生きてる証拠」

やっと一瞬揺れが止まり恐る恐る
叫んだ

『大丈夫?!』

前の日に母が熱っぽく
念の為リビングで離れて寝てたのを思い出し

トロフィーや盾
食器が棚から落ちる音と同時に不安になり

『腰が…動かん』
うなるような声でも聞こえた

腰が抜けようが生きてて良かった

頭にトロフィー幸い当たらず
(後から見ると数センチの差で布団まわりに10個以上落ちてた)

ピアノやTVもズレ
飛んで来なくて良かった

父に母を『連れてきて!』と叫び
壊れたかけらも
奇跡的に父の部屋までは踏む事も
怪我もなく集まれた

明るくなると父は寮まで歩き
全国から集まる生徒さんのうち
怖がってる2人を連れて帰って来た

お釜の中に残ったわずかなご飯で
おにぎりを4個作り
余震で震える生徒さんに
まず大きめおにぎりをあげて氣持ちを落ち着かせ

残り2つ🍙を家族3人で分けた



水は出ないのに

マンションの裏の家は燃える

父もマンションの予備タンクから
消化活動へ

余震は続き

窓の外が明るくなり下の方に広がるはるか先の海の方は

いろんな所から何箇所も火災があったようで

私は火を見ると妊婦は良く無いから見ないよう母に止められてた

すぐに関西電力が来て電気はついたものの

ガスが漏れてる所は引火火災など
サイレンの音とTVで亡くなった人の名前がずっと読み上げられてた


トイレの水がない
向かいの学校のプールに溜まった水を汲みに行った父と母
行くとプールの底が見えてたらしい

坂がきつくエレベーターも停止で
螺旋階段を衣装ケースに入れて運んでもどれぐらいの量?


私は手伝いもできず部屋にいると
ありがたい事にお水が無事な家の父の後輩が車でペットボトルなど持ち駆けつけてきてくれた




家の電話も不通

海外でもショッキングな映像が飛び込み
弟が🇺🇸大使館経由でかけた電話は
唯一繋がり無事を伝えれた

夜中の2時すぎにピンポーン

TVのニュースを
ゴルフ場で昼
見た夫

そこからは

救援物資輸送中の紙を車に貼り
腕章と
頭にベッドライト

ポリタンクやペットボトル
食料積んで

高速道路も切断された
道なき道を何時間もかけて来た

同じ神戸でも駅が変わるだけで普段どおりの地域も

ちょうど水もでて被害が少なかった弟の新居は渡米🇺🇸中で
産むまで病院も近く使わせてもらった


毎日散歩をしていて

地震の後はお店入ってもリュック
背負い大家族がまとまり移動

余震もあり怖くて
どこの家族も一致団結で
行動してた


デパートの絨毯オークション会場で陣痛が来た



赤ちゃんには『シルクのカーペットの方が良いでしょう』
って前々回の事もあり前もっての
準備を全て家族も控えてた

しびれをきらせた母が産まれてくる赤ちゃんに合わせて上質な絨毯を
選んでた最中
痛みがあり病院に電話

慌てて戻り準備

おでん食べてシャワー浴び
牛乳まで飲み

いざ出発!が

よりによって夜に大荒れ
稀にみる大雪

それで無くても山道で坂
普段から母がいくつか良く使う
タクシーに直接何度も電話

『何としてでも病院まで連れて
行って!!』って母はすぐ
運転手さんに
諭吉さん渡していた



なんとか病院につくと驚き!
すでに子宮口も10センチ開き
ギリギリセーフ

待ったなし!即!分娩室へ


真っ赤な顔で
元氣一杯の大きな産声を聞くと
ホッとし一緒に
子どもみたいに泣いた

すぐに胸の所に泣き顔のまま
抱っこできた瞬間から

『無事に産まれてきてくれてありがとう』

やっとママになれた感謝と喜びで
涙が止まらなかった

ママになるのは初めてだけど
芦屋の方の産科が潰れ神戸の産院にトランク持って来た妊婦さんもいて

育てた事はゼロでも
母子とも元氣で経産婦扱いで
3日で退院

沐浴指導さえ私は睡眠不足で寝てる間に夫にあっさりレクチャー
得意な父がベビーバスで入れた

子育てはベビーベッドに寝かせると泣く
高さがダメなのか?
って低めに換えても泣く

結局、ソファに座って自分の胸の上で寝させても3時間ごとどころか
あまり寝ない子で
こっちの睡魔が強烈だったけど

初孫を楽しみにしてた両親の
サポートもあり
産後はどこからそんな元氣がでるの?!ってほど

睡眠不足でも待ちに待った子どもと過ごす毎日が楽しく
あっという間に時間がたった

子どもに関するイベントも
近くの神社が崩壊
暖かくなる春まで待ち
母が赤ちゃんの着物を用意してくれて

お宮参りやお食い初めのお祝いも
全て(地震があった後でも)
何も変わりなく(両実家かける事なく)
写真撮影まで
できたのは親に協力してもらえたおかげと幸運に守られたからだと思う


育児に関しては自分が夢を諦めた事もあるので


親の転勤の都合で子どもにリスクが出ない様に




子どもの【引き出し】を
たくさん増やせるように
興味を持ったものは何でも習わせた


今まで引越しは13回


長くなりますので
続きは次にします













































































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