シンガー・ソングライターさユりさんのメジャーデビュー曲『ミカヅキ』にまつわる思い出

それでも誰かに見つけて欲しくて
夜空見上げて叫んでいる
逃げ出したいなぁ逃げ出せない
明るい未来は見えない ねぇ
それでも
あなたに見つけて欲しくて
蝶のように舞い上がるの
欠けた翼で飛んだ
醜い星の子 ミカヅキ

作詞・作曲:さユり・編曲:江口亮『ミカヅキ』より 

初めて酸欠少女・さユりさんの曲に触れたのは2015年の夏のこと。
同年の夏クールで放送していたアニメ『乱歩奇譚 Game of Laplace』のエンディングとして流れていたのを耳にした。

『乱歩奇譚』は2015年7月に没後50年を迎える作家・江戸川乱歩の作品群を原案とし、設定を現代に移したオリジナルアニメ作品だ(Wikipediaより)。

新卒で就職した公務員職を、1年1か月の病気休職(当時、提出した診断書面の診断名は「うつ状態」となっていた)の果てに退職し、無職だった2014年。退職したおかげで職場でストレスに耐えなければならないという負荷はなくなったので(と表現すると「適応障害」っぽいけれど)、メンタルの状態事態は改善していたのでめっちゃ本を読んでいた。江戸川乱歩も前々から気になっていたので、明智小五郎モノは勿論、『人間椅子』『芋虫』『陰獣』『大暗室』などのノンシリーズも手に取って読み漁っていた。カネはないので、全部図書館で借りて読んだ。図書館は他人がいるけれど、基本的に静かなので過ごしやすくて大好きな場所である。

そんなわけで、江戸川乱歩作品にアンテナをバリバリ張っていた私。
『乱歩奇譚』には結構期待していたのだ。

…………まあ、ぶっちゃけアニメは完走したけど、私の期待したような感じではなかった。
同クールで放送されていた『がっこうぐらし!』のほうが面白かったし、原作漫画が好きだった『うしおととら』のリメイクのほうが印象に残ったし(アニオタ界隈では不評だったようだが)、きららアニメの中でも人気作の筆頭候補(私調べ)だった『きんいろモザイク』と同作者の4コマ漫画が原作の『わかば*ガール』や、『てーきゅう(5期)』とかのほうが記憶に残っている。

それはさておき。
『乱歩奇譚』を見て、これは収穫になったという点はふたつ。

ひとつは裏主人公ともいえる探偵少年・コバヤシ役を務めていた声優・高橋李依の演技を始めて耳にできたこと。『がっこうぐらし!』でも主要キャラの一人の役をあてがわれていて、後に『ゆるキャン△』『からかい上手の高木さん』などでも毎回いい声質だなぁと思っている。

そしてもうひとつは、『ミカヅキ』というEDでさユりさんの曲に出会えたことだ。

安易に言葉で表現しづらいのだが、刺さる声だなあ、と思った。
一見トゲトゲしているように見えて、その実は優しさをも孕んでいる感じ。といっても現状には満足していなくて、必死に藻搔いているけれど、開けない夜もある。そんな諦観、悟りも孕みながら、それでも這いずり回って這い上がろうよする執念を抱いて歌い切っている――。

当時は人となりなど全く知らなかったけれど、声そのものの強さや、歌詞から滲む魂から絞り出したようなフレーズの強さに、まあ、もう、刺さったわけだ。

その後もさユりさんの曲は、すべてとは言わないが、アニメとのタイアップ作品はたいていチェックしていた。なんなら、アニメ本編は見ていなかったが、さユりさんだから、と聴いた曲もある。私には、こういうことは本当に稀だった。

特に好きなのは、『ミカヅキ』と、『クズの本懐』(2017年冬アニメ)のEDテーマの『平行線』、そしてリコリス・リコイル(2022年夏アニメ)のED『花の塔』。詳細な記述は割愛するが、いずれも作品と曲のシンクロ率が120%といっていいくらいの出来栄えで、今でも折に触れて聴いている思い出の曲だ。

元来私はアニメそのものは大好きで、作品に対する解像度が高いテーマソングにはめっちゃハマるのだが、正直歌っている歌手そのものには大して注目しないというか、まあ、バッチリ合っていたら歌っているのは有名歌手でも声優でも誰でもいいし、歌手個人に対して興味を持つことは滅多にない。

そういう意味で、さユりさんは私にとっては例外的に、人間そのものの在り方に対してまで興味を持った、稀有なシンガー・ソングライターだった。

だから猶更、先日の訃報にはショックを受けた。
歌を生業とする人間が、そしてきっと歌うことを何よりも愛している人間が、声を失ってしまったことの残酷さを思う。

私だったらどうだろう。
私は自分のアイデンティティを左利きという生まれつきの特性に見いだしている(良くも悪くも、左利きとして右脳を活用しまくっている現状は、私の生きざまに大いに影響を与えてきた)ので、もし事故か何かで左手を手首ごと失ってしまったら、どうなるだろう、と常々思い致している。けれど、左手がなくなっても、できる仕事はあるはずだ。

さユりさんの死因は明確には発表されていないし、そこはあえて詮索するものではないのだろう。
それは遺族にとっても、亡くなった本人にとっても、そうあってほしいだろう。

残された私たちは、ただただ、冥福を祈るのみ。

そして、彼女の生きた証である珠玉の歌の数々に、これからも寄り添っていくこと。

さユりさん、本当にありがとうございました。

(了)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?