「表裏亜行」 第3話
数日ぶりに地面に足がつく。笙は大きく伸びをして、新鮮な空気を吸い込んだ。辺りを見ると、ここは城壁の内側のようで、船の後方には大きな出入り口があった。多分船内で聞いた大きな音はあれを閉じるときに発せられたんだ。
他の留学生たちも港に渡された板を通っておりてくる。1番後ろにいた、顔色の悪い青年が情けない声をあげる。
「待ってくださいお嬢様。今船酔いがあと引いてて辛いんです」
「その程度で弱音吐かないでよ。早く歩いて」
彼は振袖の少女の供のようだ。先ほど食堂にいなかった。体調が悪いのに荷物をたくさん持たされ、しんどいと顔に出ていた。笙は見かねて一つ持ってやる。
「あ、ありがとうございます。重くはないんですが吐き気がつらくて」
その手からひょいひょいと荷物が取り上げられた。それを行ったのは、銀髪の青年だ。変わった服装をしている。
誰?船酔い青年と笙が顔を見合わせる中、彼は荷物を全て回収して持って行こうとする。
「え?あの、あなたは?」
止めようとすると彼は無表情のまま、軽く一礼した。そして背を向けスタスタ歩いていく。
いやいやいや。戸惑う2人の間に、涼やかな声が割って入った。
「申し訳ありません。彼は無口なもので」
先ほどの青年と同じ服装だった。黒い着物に口元を隠す狐のお面。皆の方を見ると、他にも同じ格好の青年たちがいて、荷物を回収していた。
「我々は皆様をお迎えに参りました、側付衆です。これより千楽にご案内いたします」
****
初めて見る乗り物で移動し、到着したのは複雑に入り組んだ迷路のような街だった。建物の上にさらに建物が乗っているような状態で、何がどうなっているのか眩暈がしてくる。とん、と誰かが笙の肩を叩いた。
「大丈夫ですか」
「弓月。大丈夫だ、少し圧倒されてしまっただけだから」
「長旅でお疲れのところ、申し訳ありません。この辺りは子供がよく飛び出してくるので、馬車は使えないのですよ」
そう説明してくれたのは、先ほど船の前で話した青年だ。
「子供のためなんて、優しい街ですね」
「幼子を大事にせよというのが、我らが君主の意向でして」
あの、と笙は口を挟む。
「華明の君主はどんな方なんですか」
「お優しい方ですよ。他の君主も慈悲深い方々とは聞きますが」
「他の君主?」
「華明には君主が3人いらっしゃるのです」
3人!?と黙って聞いていた栄辰が驚きの声をあげた。
「はい。都を3区画に分け、それぞれに御所があります。ここはその一つ、千楽です」
さあ着きましたと言われ、目の前には楼閣が高くそびえていた。
ずらりと一列に並んだ側付衆が皆同じく頭を下げる。
正面に立つ青年は柔らかく微笑んだ。
「ようこそ。お待ちしておりました。私はまとめ役の紗季と申します」
振袖の少女が尋ねる。
「今から君主様にお会いするの?私一旦着替えたいんだけど」
「いえ、御目通りはしません。主は興味を持った者としか会いませんので」
紗季がすまなそうに言うと、えぇーと振袖少女はあからさまに落胆した。栄辰が慌てて謝罪する。
「も、申し訳ありません。失礼な態度をとって」
「いいえ、気になさらないでください。お部屋のご用意ができていますので、皆様まずはゆっくり休息をとってください」
留学の間、御所で過ごすことができるらしい。どこかに部屋を借りる事になると思っていたから、ありがたいことだ。
「まずは風呂だな。体を拭くだけじゃ、やっぱり汚れが落ちた気がしない」
着替えを持って鼻歌混じりに向かおうとするが、なぜか弓月は行かないと言う。
「何故だ?大きな風呂は気持ちがいいぞ」
「部屋風呂があるそうなので、俺はそちらを使います」
変なやつだなと笙は首をかしげた。裸を見られるのが恥ずかしいとか?やっぱり見た目に似合わず繊細だ。
「ふへぁ〜」
熱い湯に首までつかり、思わず間抜けな声を漏らしてしまう。ずっと厳しい顔をしていた最年長も流石に表情が緩んでいた。そうだ、と栄辰が言う。
「自己紹介が途中でしたし、続きを聞きたいです」
視線を向けられ、じゃあ僕からと笙は言う。
「僕は鶴石家の次男、笙です。父の勧めで留学を決めました」
ぴくりと最年長が反応した。早々に風呂を出ようとするが、栄辰に呼び止められる。
「あなたは結構な年齢ですよね。どうして今留学を決めたんですか?あ、もちろん学問に遅いとかは無いと思います。ただ、きっかけがあったのかなと思いまして」
そうだなーと彼の兄も同意する。
「俺も興味ある。別に物見遊山て理由でも笑ったりしませんよ」
「......決めたと言うより、決めざるを得なかったからだ」
どういうこと?
「自己紹介だったな。私は安間家元当主、轍次だ。家督を息子に譲ってここへ来た。目的は、すでに果たしている」
振り返った轍次の目には拭い難い諦めが映っているように見えた。
「あのおっさん凄い人だったんだなー。けど家督譲って留学って何事?」
「目的は果たしてるって言ってたよね。この国を死ぬ前に見たかった、とかかな」
兄弟は湯船の中でうーんと首をひねった。そのとき戸が開く音が聞こえた。
「誰だろう」
「あのござるーって人じゃないか?」
もくもくとたちのぼる湯気の中から現れたのは、白井穂花の供、隻腕の剣客だった。
「やばい奴来ちゃったよ......」
栄辰の兄がそう呟くのが聞こえた。
剣客は睨むような表情で辺りを見回し、笙たちに目をとめた。
「どう、入ればいい」
「え?......そこの、それを捻ると湯が出るので、まず身体を洗ってください」
先ほど初めて使ったとき笙は非常に驚いた。捻るだけで湯が出るなんて、一体どういう仕組みなのか。屋敷にもこれがあったらきっとすごく便利だ。
ひねろうとした剣客に一応注意しておく。
「加減して捻らないと湯が一気に出るのでーー」
「びゃっ!」
そのようになるから注意してと言おうとしたのに。
「目が、目が」
彷徨う剣客に笙は手拭いを押し当ててやった。
手拭いを頭に乗せ、湯に体を沈めた彼はふうーっと息を吐く。
「風呂......好きかもしれん」
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