「表裏亜行」 第2話

 風が気持ちいい。甲板の上で海を眺めている笙に、弓月が尋ねる。

「笙様。なぜ俺を供に選んだのですか」
「興味が湧いたからだ。この間、僕のことを強かだと言っただろう?」
「やっぱり聞いていたんですね」

 弓月の声は笑みを含んでいた。それを見てやっぱり他と違うなと思う。他の使用人なら、やたらと恐縮してなんとか罰を受けまいとするのに、弓月は自然体だ。

「怖くはないのか?武士の不興をかって手打ちにされる者もいるのに」
「あなたはそんなことをしないでしょう。それじゃわざわざ気弱なふりをしている意味がなくなる」

 はーあと笙は甲板の手すりに頭をのせた。

「やっぱりバカ以外は騙せないな。兄様にも嫌われてしまった」

 波をぼんやりと見ながら呟く。

「僕は労力の少ない生き方が好きなんだ。なのに、なかなか上手くいかない」

 弓月は他人事の口調で言う。

「武士の子も大変なんですね。ところで、留学の間は猫を被るつもりがないってことでいいですか?」
「お前と2人のときはな。帰っても他の奴らに変なこと吹き込むなよ」
「はいはい」

 強い風が弓月の前髪を払った。あらわになった目を見て、笙は驚く。

「お前、面白い目を持ってるな。左右で色が違うのか」
「ええ、まあ」

隠そうとする弓月の手を、笙は両手で掴んだ。

「なんで隠すんだ?綺麗なのに」
......目立つので嫌なんですよ」
「ふうん。見た目のわりに繊細だな」
「笙様は図太くていらっしゃいますね」
「ちょっと無礼すぎないか?」

****

 こんこん、と戸を叩く微かな音で目を覚ました。朝食をとった後、本を読んでいたのだがつい眠ってしまったのだ。火が付いたままの蝋燭が、そんなに短くなっていないのを見るに、長く寝ていた訳ではなさそうだ。

 戸を開けると、そこにいたのは弓月だった。

「何かあったのか」
「いえ、何か気持ち悪いので」
「船酔いか?僕の部屋で吐くなよ」
「そういう種類の気持ち悪さではありません。なんと言ったらいいか......裸で獣の前にいるような、そんな感じがするんです」
「変な例えだな。長旅で疲れが出たんじゃないか?寝ていろ」

 華明には今日の昼頃に着く予定だ。到着すればちゃんとした寝具で休める。

「そう思って先程仮眠をとりました。でも不快感が消えないんです」

 弓月は額に手をあて、困惑している様子だった。

「甲板で風にあたろうと思います」
「今は甲板に出れないぞ。昨日の晩雨が降ったから、滑って危ないらしい」
「そうですか......

 笙は少し考えて、一つ提案した。

「暇を潰せば気が紛れるだろ。食堂に行って誰かと話そう」

 珍しいことに、食堂には他の留学生たちも集まっていた。青年が笙たちが入って来たことに気づいて手招きする。

「ちょうど皆で遊ぼうとしていたんだ。君たちも混ざるかい?」
「はい。ぜひ混ぜてください」

にっこり笑って笙はそう言った。青年は手に札を持っていた。それは?と尋ねると彼は得意げに教えてくれた。

「これはトランプという西洋の遊びだ。付き合いのある商人がくれた試作品なんだ」

 西洋の物なのに、私たちに馴染みのある絵柄だ。作るときに変更されたのだろう。青年は札を伏せて配りながら言う。

「どうせなら遊びながら自己紹介もしよう。せっかく皆揃ってるんだし」

 1人が遠慮がちに手を挙げた。

「あのう、某は見ているだけにしてもよろしいか」
「あ、そう?構わないよ。隣のあなたは?」
「拙者が代わりに参加いたします」

 札を配り終え、青年は遊び方を説明する。

「まず、自分の手札を見せてはいけない。次に、時計回りに隣の人の札を引いていく。絵柄が揃ったらその札は一組として机の上に捨ててくれ」
「全部捨てた人が勝ちってことね?」

 説明がみなまで終わる前にそう言い放ったのは、振袖姿の少女だ。青年はにっと笑う。

「その通りだ。けどそれは容易なことじゃない。一枚だけジョー力一が入っているから」

 何それ?と少女が首を傾げる。

「おどろおどろしい絵柄のやつさ」
「そやつを持っている限りあがれないというわけか」

 そう言ったのはこの場で最も年齢が高い男だった。隣にいる痩せた青年が供の者だろうか。

「そういうこと。それじゃあ始めよう。栄辰から引いていってくれ。札を引いた者から自己紹介だ」
「待ってください兄上!それだと私が最初になってしまいます!」

 栄辰と呼ばれた少年が声を上げるが青年は笑っている。

「後に言うのも最初に言うのも同じことさ。ほら引いて」
「えぇー......

 栄辰は渋々、隣の三つ編みの少女の札から一枚抜いた。

「揃いました」

 ぺっ、と組になった札を捨てて、緊張した様子で皆の顔を見る。

「私は桂木家の三男、栄辰と申します。隣のこの男は二番目の兄です。今回私の供として同行しています」
「えっ?お兄さんをお供にしたの?顔に似合わず面白いことするじゃん」

 違います、と振袖の少女に言う。

「父に命じられてこうなっているだけです。僕からは以上です。次の方、引いてください」

 三つ編みの少女が痩せた青年の札に手を伸ばす。

「やった、揃った。私は白井家の娘、穂花と申します。医学を学びをを深めたいと思い、今回参加しました」
 最年長の男が興味深そうな顔で言った。

「ほう、女が医学を学ぶのか」
「いけませんか?」
「いや、珍しいと思っただけだ。馬鹿にしているわけではない」

 彼は目を伏せ、口を閉じた。

「私の供は彼です」

 静かに彼女の後ろに控えていた若い男に、皆の視線が集まる。彼は隻腕で、腰には刀をさしている。また特徴的なのが、顔に刻まれたいくつもの切り傷だ。着物に隠れているが、腕にも傷が見えている。栄辰の兄が震える声で尋ねた。

「どういったご職業の方なのかなー......
「今は私の用心棒です」

 今は?
 掘り下げない方が良さそうだと全員が思ったそのとき。ガラガラと大きな音が響き、何事かと席を立つ。

「土砂崩れでござるか!?」
「馬鹿、ここは海だぞ!」

 誰かがそうツッコミをいれたとき、食堂の戸が開き、幕府の役人が声をかけた。

「皆様、華明に到着しました」

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