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推しが入隊して一年


 2023年4月18日から大体一年が経った。時の流れが遅く感じられたような、それでいて一瞬だった気もする、というかなり矛盾した感情を持ち合わせており、完全に「たかが一瞬だけど永遠っ♫」状態である。半年経った頃の心情を書き連ねてからさらに半年、今はもう春の訪れを日常の些細な事柄から感じる時期である。


 「推しが入隊してから半年」というnoteを書いた時から一年の区切りでも書こうと決心していた。当時の私は「きっと一年経った頃にはon the streetの活動を振り返りながら改めて良さを噛み締め、しんみりとしているのだろうな」と考えていたが、現実はかなり違った。実際はしんみりしている暇などなかったのだ。
 というのも、世界中のダンサーに会ってダンスを学び直すドキュメンタリーという激ヤバコンテンツがついに世へと出てしまったのである。
 ドキュメンタリーの存在自体は2023年7月に公開されたシュチタで明らかになっていた。その詳しい日程が2月18日、つまりホソクさんの誕生日に発表され、そこからどんどんと様々な映像や画像、情報が流れ、入隊から一年たつ4月18日には全話公開が終わっている。今では色んな投票にいそしんだり、曲を聴いたりしているところである。




 とにかく頭の中はあの6話分のドキュメンタリーのことでいっぱいだ。毎日毎日アルバムの曲を聞いて励まされ「前を向いて自分の道を歩こう」という気持ちで日々を過ごしている。「推しが、推しグルが入隊中だから」という辛さも、新しい生活が始まることで感じる不安も包み込んでくれるような感覚を覚えるのだ。そういえば、去年もon the streetを何度も何度も再生して同じことを考えていた。私がホソクさんを好きな理由を挙げればキリがないが、彼の音楽に救われたことは間違いなく大きな割合を占める。


 少し前までは心にぽっかりと穴が空いた感覚があった。しかし、このドキュメンタリーが配信されてからはその穴が少し埋まった気がする。きっとこのドキュメンタリーを通してますます未来が楽しみになったからだと思う。(あと、ジンくんの除隊が近付いているのもあると思う。あと2ヶ月で私から見た世界の色が変わるのが楽しみだ。)
 ホソクさんは自分のルーツを探りながらどの瞬間も真摯に生き、しっかりと未来を見据えていたのだ。「現在・過去・未来」に同時にこれほど向き合うことが可能なのかと驚いたところで、パリで一緒に踊っていたyugsonさんが「ダンスは過去、現在、未来だ」と語っていたのが印象的だった。



 これはふと思い出した本当に関係ない余談だが、ラプラがソロ活動期間中に出したアルバムが、偶然にもそれぞれ過去・現在・未来が軸になっていたのが大好きだ。

 ナムの「Indigo」は本人が「20代のアーカイブ」と称するように他でもなく過去をまとめていた。私の記憶が確かであれば、活動期間が終わったらIndigoの詳しい話はしないと思うとも語っていた。最初に収録されている「Yun」では「I'mma thrn back the time」と過去を振り返ることから始めている。

 ユンギが出したアルバムは現在の生き方を話していた。Agust D三部作の締めくくりで、「D-DAY」というそのタイトルもまさにその時というものを表している。そもそもユンギさんは「今」を大切にしている印象が強い。収録されている「D-day」の中にも「過去を悔やまず未来を恐れるな」という歌詞がある。現在の視点から語られている歌詞で、今を生きる人への励ましだ。

 JITBにはまさに「Future」というタイトルの曲が収録されているように、これからの野望や人生への心持ちを歌っており、「未来」を感じさせるアルバムとなっている。自分や世間に対する問題提起であったり、自分に向き合った上でこれからどうするかを語っている。

 このように、偶然にもそれぞれ「過去」「現在」「未来」の軸ができているように感じてとても面白かった。当然ながら過去がなければ現在はなく、現在がなければ未来もなく、未来がなければ過去もないといったようにお互いがなければ成り立たない関係であるため、3人とも過去・現在・未来の全てを語っている。そのアプローチの仕方が違っていておもしろいという私個人の考えなのであしからず。


 大きく脱線してしまったが、とにかくドキュメンタリー「HOPE ON THE STREET」は本当に面白かった。



 さて、私は半年の区切りでも同じテーマでnoteを書いたのだが、この半年の間で自分がそこで書いた文を思い出すことがしばしばあった。「自分が作る推しの像と本人との乖離」についてである。正直明るい話ではない。

 この半年の間にも色々あった。本当に色々あった。昨今の世界情勢を鑑みると色々ない方がおかしいとも言えるが、やはり簡単な問題ではないだけに色んな意見があった。それについて詳しい内容を語るつもりはないが、私が気になったのはそれらの問題が語られる時に「あの人ならきっとこう思うはず」という文言が散見されたことだ。

 大前提として自分の意見を持つことは大切である。SNS上では自分の価値観では納得いかないものから深く共感するものまで様々な意見が見受けられ、結果として意見の対立というのは免れない。それは同じ趣味嗜好、つまり同じグループを応援していても変わらない。そんな時、対立する意見を持つ人に納得してもらおうと、「あのメンバーもこう思うはずだ」「きっと彼らはこの意見には賛成しないはずだ」「○○(メンバーの名前)も分かってくれるはず」という言い回しをする人が一人や二人ではではなかった。また、「この人がいたらこうしてくれただろうな」という文も見られた。これは海外のファンを中心に議論が巻き起こっていたが、本人たちが自分の期待通りに動かないことに怒ってファンを辞めるという人までいた。


 何が言いたいのかというと、「自分の価値観を通して見るその人」と「本当に存在しているその人自身」の乖離が確実に開いている気がするのだ。本人たちが言葉を発する機会がどうしても少なくなってしまう今の時期であるため当然のことではあると思う。そのような言い回しが悪いとか、止めるべきだという話ではなく、ただただその乖離を実感して寂しくなるのだ。もちろん自分もそうである。今の本人と私が作り上げた推しの間には少なからず差があるだろう。

 上手くまとめられないし、あまり暗い話はしたくなかったが、自分にとって一番の懸念点であったため一応書き記してみた。


 とまぁそんなこんなで一年経ち、残すところあと半年である。自分の日常と向き合っているうちにあっという間に過ぎてしまう時間だ。それに私にはホソクさんの音楽がある。朝起きてまずNEURONを流すと一日を頑張れるライフハックに気が付いたし、きっとこの先も大丈夫だ。

 そういえば去年は寂しい気持ちで桜を見た。どんなに綺麗な桜も私の悲しみを増幅させるだけだった。まぁそれはそれで良かったが、今年はもっと楽しい気持ちで花見ができた。寂しい思いができるのも、前を向いて頑張れるのもホソクさんのおかげだ。


 一年前、実は「もしこの期間に興味がなくなってしまったらどうしよう」という心配もあったのだが、結局毎日毎日ホソクさんのことを考えていて、なんなら好きが増している。一年前の自分に「それは本当にしょうもない心配だよ」と伝えてあげたいくらいだ。今の私は新しいアルバムの「i wonder…」という曲をきく度に泣きそうになっています。(初めて聞いた時は大号泣でした。)


推しが入隊して一年経った今の私はこんなことを考えている。

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