小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第17話

1月17日

朝ご飯は離乳食のお米のやわらかいおせんべいだった。
7ヵ月からとあり、お湯をかけると即席おかゆにもなると書いてあった。
はちみつ湯に浸しながら食べた。
元気な人にもこれが配られたのかはわからないが、私には食べやすかった。

今日も看護師さんの計測があった。
体調は確実に良くなっている感覚があった。
看護師さんに声がまだ出ないと言ったが、日にち薬で良くなりますよ、と言われた。
日にち薬は関西の言葉だろうか。
私は関西のK府に住んでいたことがあって、その時に聞いたことがあったが
石川県では一度も聞いたことはない。
でもずっと素敵な言葉だと思っていた。
こんな状況で聞くことになるとは思ってもみなかった。

近くのお母さんが一番私と症状が似ていて、痰がからんでいてかわいそうだった。
熱は私ほどではなかったが、味覚障害を訴えていた。
私は一応味はしているし、美味しいとも思う。
食べ物がいつもと違うので、比べようがなく、味覚障害になっていても
わかっていないだけかもしれない。

父はラジオ体操をして、机を使って腕立て伏せまでしていた。
体がなまるといっていた。

母から電話があった。
祖母の世話をして、疲れとったんやろう、すまなかったね、
治るまでゆっくり休んでね、普段なら、ここまで悪化せんかったやろうに・・・
私は声が出ないので、ただ、うん、うん、と相づちをうっていた。
母と祖母は、旅館に移動するという話だったのだが変更になり、
ホテルに行くことになったそうだ。
1.5次避難所では段ボールベッドがあり、トイレが普通に使えるのがいいと言っていた。

Kさんともう二組の家族が隔離解除になり、隔離部屋を出ていくことになった。
代わりに新しい家族が三組入ってきた。全体数としては変わらない。
対策本部のボランティアもしているというMさんが来てくれて
本部に電話してくれるようだった。
Kさんが出て行った後も、いい人が来てくれてよかった。
みんな元気そうで、私があんなにひどかったのが、少し悲しくなる。

お昼はまた2つに仕切られた楕円形のお皿にご飯とカレーがのっていた。
これは取らないで、離乳食のお米のおせんべいを食べた。

いい天気で、学校を休んだ日の昼を思い出した。
小学生のころ、笑っていいともをやっていた頃のことだ。
笑っていいともは平日しかやってないし、休んだ日しか見れない。
休んだ日の特権のように感じていた。
今は会社は休業中で、いいとももやってないけれど、
母校で寝ていることで、昔を思い出したのだろう。

ナポリタンが食べたいと思った。
ナポリタンをハサミで細かく切ったものが食べたい。
でも今、そんなことができるわけがない。
食べたいときにそれを食べられるのは贅沢なことだと知った。
食欲が出てきたのは良かった。

今日もご飯茶碗を検索し、電子書籍の漫画を読んだ。

夜はまた2つに仕切られた楕円形のお皿にご飯とおかずがのっていた。
色が茶色と緑で構成されていて、みんな何かわからないと言っていた。
豆腐とひき肉が入っているから麻婆豆腐だろうということになったが、
食欲をそそる見た目ではなかった。
みんな恐る恐る食べていた。
父に辛いか聞いてみたが、辛くないといった。
私もお腹がすいたので、食べてみた。
どろどろなのでのどを通った。
見た目ほど悪いことはなかった。普通といったところだ。

夢を見た。
夢の中で私はベンチに座ってうとうとしていた。
そこは卓球の試合会場の外の廊下だった。
実況中継の男の人の声が聞こえた。
「信じられません!無名の選手が、メダリストにあと一歩のところでした!
素晴らしい試合でした!」
それは昔の私の友達のことだと思うが、眠くて動けない。
起きようとすると、本当に起きてしまった。


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