小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第16話

1月16日

やっと平熱になった。
のどの痛みは昨日よりも少し良くなっていた。
朝ご飯は乳酸菌入りビスケットとりんごだった。
りんごは少しずつかじって歯ですりおろすようにして食べた。

W県の赤十字の看護師さんは非接触の体温計を持ってきて、測ってくれた。
それだけでも格段に設備が良くなったように感じた。

水分も少しであれば飲めるようになった。
やっと経口補水液を飲めるようになったが、飲んでものどがチクチクするように痛い。
はちみつ湯なら少し痛みが和らぐので、はちみつ湯にする。
痰はあまり出なくなってきた。
咳は時々でるくらいだ。
ただ、声はまだかすれてほとんど出ない。

昼ご飯はパックに入った白飯とカップの味噌汁だった。
白飯のほとんどを父のパックに移し、味噌汁は少しずつ飲む。

生協から電話がかかってきた。
組合員の状況の確認をしているとのことだった。
ふだんあまり電話をし慣れていないようなおじさんだった。
マニュアル通りと言った感じだ。
地震のために人員を割いているからだろう。
今は避難所にいて、家族も特にけがなどはしていないというやりとりをした。
今はコロナになって声が出ません、というと、マニュアルから外れて少し同情した声になった。
配達員に伝えます、と言った。

体力が回復し、タブレットを見るだけの余裕が出てきた。
K宅急便の営業所が臨時の場所で再開し、荷物の持ち込みと受け取りができるようになったと知った。
配達はしていないが、営業所受け取りにすれば、ネット通販ができるのだ。
まだ隔離期間が終わらないし、注文はできないが、少し希望が持てた。
ご飯茶碗が割れたから、素敵なものが欲しい。
ご飯茶碗をせっせと検索した。

看護師さんに言われた応急仮設住宅の話をメールで夫に伝え、申し込みをしてもらった。

夜ご飯は2つに仕切られた楕円形の紙のような皿の左側にご飯、右側に中華丼が入っていた。
ご飯だけを少しとって、後は父に食べてもらった。
父が食欲旺盛でよかった。

夜は何回か目が覚めたが眠ることができた。

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