小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第1話

1月1日

それは普通のお正月だった。
朝はゆっくりと起き、朝ご飯を食べた後、家族3人で初詣に行った。
おみくじを引いて見せ合った。
そのあと夫の実家に行って義母の用意した(買ったものと手作りしたものが入っている)おせちを食べた。
義父母とはいつも話をしながらおせちを食べるのだが
義父はテレビ番組ばかり気にして
誘っても私たちとはおせちを一緒に食べようとしなかった。
義父には最近、昼夜逆転や場所が分からないなどの認知症の症状が現れていた。
帰ってからはそれぞれのんびりと過ごしていた。
私は漫画を読んでいた。
そんな時1回目の地震が起こった。
リビングにいた私と息子はテーブルの下に潜った。
1回目の地震は大きかったものの、収まってからは
「怖かったね、S市が震源かなー?」などと話す余裕があった。
そして2回目の地震が起こった。
何かが切れる大きな音が聞こえて、停電になった。
急いでテーブルの下に潜った。
今度は家全体が大きく揺れた。
家がつぶれるのではないかと思うほどの恐怖を感じた。
台所のほうでガチャンガチャンと茶碗が割れる音が聞こえた。
棚から物がすべて落下し散乱した。

その揺れは小さくなったり大きくなったりを繰り返した。
後で知ったことだが、計4回の地震が立て続けに起こっており
私が住んでいるところでは、そのようにつながっているように
感じたらしい。
揺れが収まり、家族に怪我はなかった。
水も出なくなっていた。

外に出ると、近所の人も外に出ていた。
カラスがひどく騒いでいた。
津波がくるという情報があり、私たちは
どこに移動するか迷った。
調べたところ、予報が1.5mとなっていて
私の家のある場所までは到達しないようだった。
非常放送があり、市役所を避難所とするというものだった。
そんな時、義父母が歩いて私たちの家にやってきた。
夫の実家は歩いて20分ほどの場所にある。
家はまだ大丈夫だが、余震があったらどうなるかわからないため、市役所に行くという。
途中で倒壊した家が何軒もあり、朝市のほうが火事になって、赤くなっているのが見えたという。
しかし、義父は災害のひどさがわからないらしく、家に戻るという。
みんなで市役所に行かなくてはといっても、
認知症のせいで、どんな事態になっているのかがわからないのだ。
ここまで認知症が進んでいたとは思っていなかったので、愕然とした。
夫が怒鳴りつけたのだが、むしろ親に対して何という口の利き方だと
怒っただけだった。
私は必死で、義父に頭を下げて何度も謝った。
あちらのほうは赤くなって、火事で危ないですから、こっちのほうから行きましょうと言って市役所に行く道をさした。
義父は私が謝ったことで少し落ち着いたのか
そんなことなら仕方がないという風で、なんとか義母と歩いて行った。

その時、私の携帯が鳴った。
実父からだった。
初詣にH市に行っており、
私の祖母が実家に一人でいるから見に行ってほしい、
地震のせいで、道が通れなくなっており、いつW市に帰れるかわからないとのことだった。
私は血の気が引いた。
私の家は古い木造住宅で、倒壊している可能性があった。
単独行動は危険なため、夫と息子の3人で歩いて実家に向かった。

玄関にあったショートブーツはガラスの破片が入っているかもしれないため
長靴を履いて歩いた。
道は陥没、隆起がおこり、長靴を履いて歩くのは大変だった。
転ばないように気をつけて、と息子に言った。
倒壊した家は何軒もあったし、倒壊していないまでも
斜めになっている家もあった。
車道では地割れがいくつも起こっていた。
地割れにタイヤが落ちてしまった車が放置されていた。
途中で私は転んで、両手と膝をついた。
以前に転んだのがいつか思い出せないくらいだったのでショックだった。
手袋をしていたため、手に怪我はなかったが、
膝を擦りむいた。

実家の一階はつぶれていた。
祖母がいつもいるはずの部屋の窓のほうに向かったが、とても人がいるように見えなかった。
実父に連絡したところ、居間にいるのではないかということだった。
居間のほうは横の納屋のほうにかたむき、少し隙間があった。
それで居間のほうに回って声をかけた。
返事はないが、誰か動いているような音が聞こえた。
消防に連絡したが、私のガラケーに「GPSで位置を確認します OKボタンを
押してください」というような画面が表示された。
(注:私のガラケーは正確にはガラホでAndroidが入っている。)
私の携帯でうまくいくのか疑いつつOKボタンを押すと「場所が確認できました」と表示された。
私は祖母に向けて「消防の人がくるからそれまでがんばって!!」と叫んだ。
私の実家は小学校の近くにあり、そこに人が集まっていたため
避難所になっているのだと思い、いったんそこに向かうことにした。
電気も水道もないのだから、それ以外の選択肢は思いつかなった。
車中泊できるほどの大きな車も持っていない。

小学校にはすでにたくさんの人が来ており、体育館へ向かった。
そこで同級生と何人か会い、軽く挨拶をした。
小学校の中にもともとあったマットやござが敷いてあった。
親切な人がマットを分けてくれて、私たちはそこに座った。
夜になり、子供にはラップでつつんだ塩おにぎりが一つもらえた。
大人は二人で一つと言われ、夫と半分に分けて食べた。

祖母のことを実父に言おうと電話をかけた。
消防を呼んだがいつ来るかわからない、音は聞こえたんだけど、
私には助けられないと言った時、涙が込み上げてきた。
しばらくしゃがんで泣いた。

変更履歴
2024/2/11
地震の様子などを修正、加筆しました。




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