小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第66話
3月6日 水曜日
朝はパンと野菜ジュースにした。
今日はなぜか気分が落ち込んでいた。昨日の疲れが残っているようだ。
息子は今日は学校に登校した。
仕事は疲れからか、あんまり進まなかった。
昼はコンビニ弁当だった。
おいしいとは思うが、心は沈んだままだった。
午後も仕事中につい時計を何度もみてしまった。時間は進まなかった。
簡易トイレを使った。
ネットショップの発送メールがきた。
必要なものを買っただけなので、あまりときめかなかった。
仕事が終わり、避難所に戻ったころ、夫のところに義母から電話があった。
罹災証明書をもらいにいって、準半壊ということだった。
夫が再申請をするようにと義母に言った。
傾いている場所もあり、きちんと見てもらった方がいいからだ。
家に壊れているところがなくても、傾いている場合、半壊以上になることがある。
1度目の罹災証明書は外からの確認で、家の中までは確認されていないという。市長もテレビで、納得いかない場合は再申請してくださいと言っていた。
ネットに東日本大震災で子供三人を津波で亡くした人の今が出ていた。
胸がつまるようだった。
夜はご飯と八宝菜だった。
美味しいとも何も思わなかった。
父に会いにランチルームに行った。
下水管のコーキング剤をホームセンターに見に行った話をした。
家にあったはずだから、探してみると言ってくれた。
父は仮設住宅のアルバイトの電話にかけてみた、と言った。詳しいことはまた向こうから電話がかかってくるそうだ。
父と話している途中で母から電話があり、みなし仮設をキャンセルしたと言っていた。
まだみなし仮設に未練があるようだったが、家賃がタダになったとしても
光熱費とかを払うとお金がかかるし、行かなくて良かったと思うよ、と慰めた。
そして、Mさん親子が自分がいない時に急に訪ねてきた、どうしてこのホテルがわかったのか、と言った。いきなり来たことにイライラしていているようだった。
この前、Mさんのことを連絡しなかったことを後悔したが、それは言わないでおいた。むしろ、なぜそれを父も私も言わなかったのかと責められると思ったのだ。
DさんやSさんにも教えたことがあるから、近所の人はみんな知っていると思うよ、と言った。それで少し納得したようだった。
今日は延長の音が聞こえたが、体が疲れすぎて、起きることができなかった。
そのまま朝まで眠った。