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梅雨 ☆92

梅雨である。

雨が降ったり止んだりをずっと繰り返している。

そんなもの、

傘さえあれば、別にどうという事も無い。今はドンドン降って、夏はスカッと晴れて欲しい、なんて思う。

けれど、商売をしていた時は雨にはずっと悩まされていた。災害ではない、たかが普通の自然現象が、こんなにも自分の生活に影響を与えるものかと、理不尽に思った。

その頃は、毎日天気予報を気にしていた。雨や、台風や、雪の予報にいちいち恐々としたものだ。

サラリーマン時代は、天気予報なんて全然気にしなかった。台風の影響で電車が遅れたとしても、止まる事など滅多にないのだから。


寄席の噺家が良く言ってた

「芸人殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の3日も降ればいい」なんて、客がクスリと笑ってたが、

雨が降れば、寄席に来る客足が落ちるからこんなクスグリが生まれたのだろう。私が寄席に通っていた頃には、それでなくても客が少なかったから、

雨が降れば、客が2人とか、3人なんて恐ろしい事もよくあった。客の数は1人2人とは数えない、ひとつ、ふたつ、なんて数えて、九つまでは全部「つ」がつくから、十でやっと「つ」がとれて「つばなれ」と言う。

つばなれしない寄席に良く通ったものだが、芸人も商売人も同じである。雨が降ると売上はガクンと下がる。

お天道様には勝てませぬ。


私は本当に少しだけ、祭りのバイトをした事があった。つまり、香具師(やし)、フーテンの寅さんの真似事である。

イベンターがバイトを募集して、それに応募したら香具師の親分に紹介されただけの、日雇いのバイトである。

その親分は如何にも香具師で、60過ぎていたように見えた、風格があったが、愛嬌も感じられる、優しい人だったのだが、指が2本なかった。

私はその親分から日給を毎日払って貰っていたのだが、実はその上に大親分が居たのである。良く分からないが、多分何百人も束ねている人だ。

大親分と私の雇い主である親分の関係は、大企業の社長と下請け会社の社長の関係みたいなものか?

ホールのウェイターが私の仕事だったが、いろいろ雑用も言い付けられた。大親分の下の店のあちこちに、調味料や野菜や、ガスボンベやらを届けたりもした。

「これを、何処そこに届けてくれ」と言われて、私は届けたが、道は神社の参道の1本道だから、初めてでも何とかお使いが出来るのだ。

野菜を届けた先に、初老の男が1人でパイプ椅子に腰掛けていた。

「すみませーん、野菜届けに来ました」

初老の男は、眼光鋭く私を睨みつけ、

「なんだ、てめぇは!」声も鋭く、ドスが効いていた、相手を委縮させる言い方だった。

この時、私もその人が大親分だと知る由もないのである。祭りは何百人、或いは何千人も居て準備をしており、全員バタバタしている状態なのだ。

いきなり、初対面の人から「なんだ、てめぇは」なんて挨拶をされた経験はなく、驚いたが

「あの、Aさんから言われまして」

「ああ、そこへ置いておけ」

そのバイトをして、初めてドギマギしてしまった。それまで普通のバイトと変わらないテンションで働いていたのだ。


この大親分は、本当に怖い人だった。見た目が既に怖いのだから、私も近づいたりはしなかったが、いつも周囲に強面の若頭だの何だのという幹部が控えていて(祭りの準備の時は忙しかったから誰もついてなかったが)、大親分の周りはピリピリとした空気が漂っているようだった。

祭りは、まず場所を決めて、各々がテントみたいな屋台を組む。ベテランは1人でも組んでしまう。

大親分は何百軒も下に店を抱えているようだったが、祭りの中でも1番目立つ場所に、ぜんぜん規模の違う大組みの店を建てていたが(そこで私はウェイターをした)、

祭りが始まる前に、大親分が検分しに来た。これまた鋭い眼光で睨めまわし、何か不備を見つけてしまったのである。

彼が何事か幹部に指示すると、大勢の子分達が慌ただしく動き出し、1部のロープを緩め、その場にいる大親分以外の全員で(100人くらい)、大組のテントを持ち上げ、少しだけだが、テントの場所をズラしてしまった。

大親分の言う事は絶対なのである、黒いものでも白と言えばシロなのだ。彼の指示に逆らうなんて有り得ない事のようであった。

彼は日本全国の祭りに子分を派遣するような、本当の大親分だと聞いている。

しかし、

この、絶対権力者の大親分ですら、

お天道様には勝てないのだ。天候の前では、ただの1人の芸人と大差ないのである。

眼光鋭い、ピリピリした緊張感を纏う彼も、たかが雨に手も足も出ないのである。

雨が降ったら、客が来ない。祭りなど、特にそうだ。

ある日、祭りの最中に雨が降り出したが、さすがの大親分の目が点になっているのを私は見てしまったのである、それは、何もかも諦めた顔だった。この人でも、こんな顔をするのかと思った。

雨に怒ったり、腹立てても、仕方ない。百戦錬磨の彼は良く分かっているのだろう。

雨で客足が途絶えた時、私はよく、大親分のあの顔を思い出した。彼にどうにもならない事は、私なぞどうするも出来ないと、

諦めるしかなかったから。

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