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スマイル#2 ⑩

私は落語ファンで、桂米朝の独演会で洗礼を受けたという話をした。

その米朝は後に落語家初の人間国宝にまでなってしまうのだが、「最も影響を受けた人は誰ですか」という質問に対して

「チャップリンです。」と少し意外な人の名を挙げている。
言わずと知れた喜劇王、ぜんぜん意外ではないかも知れないが、米朝の若い時には、上方落語界や、東京の落語界にも大勢名人、上手が存命しており、それぞれにさぞ可愛がられたであろうに、それらを差し置いてのチャップリンだったのである。

チャップリンの笑いの根底には、悲しみがある。
「私は悲劇を愛する。悲劇の底にはなにかしら美しいものがあるからこそ、愛するのだ。」と述べ、徹底的に無駄をそぎ落とした完璧主義の笑いを追求した。

幼少の頃の彼の過酷な境遇は悲劇そのもの、芸人の夫婦の間に生まれ、父親はアルコール依存症で早くに他界し、母親も精神病院に送られるほど消耗し、腹違いの兄弟とも離れ離れで施設で暮らしていた。

こんな悲惨な体験をしているのに「悲劇の底にはなにか美しいものがある」なんて発言が出来るのだからすごい。どんなに惨めな環境にいても、笑いが彼を救ってくれた。

「笑いのない1日は、無駄な1日だ。」

は至言でしょう。
米朝師匠の追い求めた芸に強い影響を与えたというのは頷けます。

YouTubeをあちらこちら見ていたら、岡田斗司夫さんが

「笑いとは、攻撃性である」と言っていました。

ふーーん、そうかしら??

私は少し違う意見を持っています。

人間は泣いて生まれて来るけれども、生まれてばかりの赤子は笑うことが出来ない。
笑おうとしても、ホガホガと変な顔をするばかりだ。

母親に抱かれ、優しい母の笑顔を見て、学習し、反射してようやく笑えるようになれるのである。

母の愛に包まれて、赤子はやっと人間らしく成長するのである。

笑いの本質はこちらではあるまいか??

スキゾフレニアや精神疾患の人は笑えない。
笑いこそが人間を人間たらしめているのであって、

笑いこそが価値のある1日を与えてくれるものなのだ。


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