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奥の細道紀行 其の一

令和 6 / 7 / 13 (土曜日)

訳あって国道7号線を北上した。
道路脇には合歓の花が咲いていた。

合歓の花です

 そう、あの芭蕉と曽良の奥の細道紀行と同じ季節なのです。
 私は車で時速70キロほどのスピードで、風をビュンビュン切って走ります。

 途中、何本もの橋を渡ります。
そして日本海の波のうねりを眺め、険しい岩を波が砕いています。

 遥か昔かしのあの時代は、橋もなく歩いて渡らなければなりません。山から谷を下り、程よい所で川を渡るのです。並大抵の苦労ではありません。

 道幅も人二人がすれ違うくらいと思います。足場も悪いでしょう。
 当時は娯楽など数少なく、旅の土産話しが何より嬉しいのです。

 未知の世界を誰もが欲し、今で言う知識人と呼ばれ、自慢話になるのでしょうか。皆、井の中の蛙なのです。

 それを思うと命懸けで旅をする意味があったのです。みんなが楽しめる記事やニュース、エンタメを芭蕉は仕事としていたでしょう。

 家で待つ病床の妻や子に話して聞かせたいのです。奥の細道の冒険をわくわくしながら、目を輝かせて聞く子供達。

 そして、社会的な地位と芸術を作る為に、生きてゆくための銭のために、命懸けなのです。食べて行かなければならないのですから。

 出版社のようなお金持ちの依頼人の為に、足に豆を作りながら、心身共にぼろぼろになりながら、夢だけを頼りに歩いたのでしょう。

 そんな崇高な奥の細道紀行に便乗して、わたくし花埜の奥の細道紀行は、馬鹿馬鹿しいほどの陳腐な紀行文なのでした。

 だけど書きたいのです。今回の私の紀行文は、猫とインコの世話の話しです。

 行く時は、鳥海山は靄に包まれ、その全容は見えませんでした。
 芭蕉も見えなかったかも知れません。群青色の稜線が幾重に立ち上がって見えるだけでした。

 山の所々には、ピンク色の淡い花を付けた木々が見えます。ちょうど象潟の手前でしょうか、見事な合歓の木が旅の疲れを癒してくれるのです。

 娘の家に着くと、これから旅の準備をしていて、雑然としていました。
娘は体調がわるいようで、家族の為に頑張って行くことにしたようです。
 時々、苛ついて声を荒げ私と口論になるのでした。猫の世話とインコの世話のマニュアルを覚えられないのです。すっかり、忘れているのでした。

 他人の家のルールは難しいのです。
例え娘と母親であっても、その家のしきたりに従わないといけません。

「お母さん、勝手に毛布とか持って来ないでね。ダニとか持ち込まないで。」

 昼寝の時の毛布を持参しようと思ったら却下。

「お母さん、家の中に蚊を入れないでね。猫が病気になるから。」

「インコに水を飲ませ過ぎないでね。お腹を壊すからね。」

「食べこぼしはちゃんと掃除機で掃除してね。猫の麦が何でも食べてお腹を壊すからね。」

「インコが逃げないように気を付けてね。」

「猫の世話をしない時は、ゲージに入れて鍵をかけてね。」

「猫の空が何でも食べて吐くから。」

 Oh  my  god ❗
なんてこった❗
難し過ぎる。猫の世話だよ。人間より細かい。それほど愛しているのか、
もはや、猫ではない、猫の姿をした子供ではないか、いや、子供より大事にされているではないか。

 この猫とインコの世話は、重い任務なのだった。私は、すっかり疲れてしまった。

 とは言え、娘家族の思い出作りに参加出来るのは嬉しいのです。
母親として、頼られるのは嬉しいのです。

 明日が本番です。どうか神様上手く出来ますようにお願いします。


道なりに十六羅漢へ合歓の花


海に入る夕日の波や合歓の花


もやかかりもやにあらわる鳥海山


彼の人は寂しきかな合歓枯れて


象潟の雨にぬれてるワンピース


─ 林 花埜 ─






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