若草日記 5/23 晴時々曇
令和 6 / 5 / 23 (木曜)
天気 晴れ時々曇 気温 14 ~ 25 ℃
今日は、私にとって特別な日です。
初めて母親になった日なのです。
喜びの感情が思い出されます。
私は、最初の妊娠を流産してしまいました。
無知の過ちでした。私達若い夫婦は、叔母から子供が結婚したみたいだと言われました。
そう思われてもしかたがないのでした。私は、成人式を終えたばかり、世の中に出て、たったの二年も経たないうちに妊娠してしまったのだから。
「小さな恋のメロディー」とは、言えませんが、お尻に毛が生えたくらいです。
この時、夫がちょっと常識はずれなのは、解っていたのですが、私の好奇心の方が勝り、面白い人に興味を持ち、あれよあれよと夫の作戦に、まんまと乗ってしまったのでした。
(ここは、笑う所です。)
私のお姑さんは、大変な苦労人で、子供の頃に北海道から養女に来たのでした。15人兄妹の長女なのでした。
子供の頃の姑さんは、それはそれは可愛かったようで、子供のいない養父母に気に入られ、姑もなついていたようでした。
そんな訳で、15の春に北海道から田舎の町に来て、びっくりしたと思います。姑の実家は、網元でした。裕福な生活をしていたのですが、養父母に懇願されて養女になったそうです。
縁なのでしょうね。
私の勝手な妄想ですが、鰊漁も衰退し始めた頃かも知れません。
姑は、言葉使いは悪いのですが、心のこもった大変優しい人でした。
実家から遠く離れた港町に嫁いだ私の事を思って、毎月実家に帰してくれました。
実は、これが悪かった。三月の胎児には、長距離の自動車の振動は、良くなかったのです。
最初の子供を流産したのはショックでした。夫に悪いと思いました。何故ならば赤ちゃんは、私だけの者ではないのですから。
泣きました。不安でした。この後、又妊娠出来る保証はないのだから。
そういう経緯での出産は喜ばしい事なのでした。
だがしかし、出産は尋常でない痛みを伴います。何時間も続く陣痛。
こんなに痛いなら死にたいと側にいた母親に漏らしました。
母は、我慢しろ、そんな事は言っては駄目。恥ずかしいからね。
女の意地を見せないといけないよ。
みたいな事を言われた気がします。
ここで、又、私の負けず嫌いが目覚めて、くっそう~!と、なった訳です。
母乳を出す為に、おっぱいを揉まれ、あれ~、痛い~、止めて~と、叫んだら、他の患者さんがいるので、静かにして下さい。と、言われ。
くっそう~、と口にタオルを入れて耐えました。
この時、もう、絶対、子供を作らない。と、心に誓ったのでした。
だがしかし、その翌年に第二子を妊娠したのでした。若かったのね~。
乳揉みの地獄の三日間が過ぎて、赤ちゃんが来ました。ふにゃふにゃで、シワシワで、全然可愛くありません。
でも、小さくて儚いその命を守れるのは、私しかいないのです。
母性の誕生でした。
壊れないように抱いて、おっぱいを与えます。だけど、乳首が小さくて赤ちゃんは、吸い付けずに嫌々します。
おそらく、こんなのおっぱいじゃない、腹へったよ~と、泣いたと思います。
私は、赤ちゃんにお願いだから吸ってと心で頼んでいました。何度も何度も失敗するのです。赤ちゃんも必死だったのでしょう。
願いは通じて、 何とかお乳を吸ってくれました。
痛い!、痛いよ~。泣くほど痛いのでした。
だけど吸われると嬉しい感情が溢れるのです。愛しい我が子の小さなシワシワの手。柔らかな重さのお尻。
しゃ~わせ~♪
私の乳首は、ひび割れをして血が滲んでいました。赤ちゃんの吸引力は凄いのです。授乳以外では軟膏を付けました。
授乳の時は、綺麗に消毒をして、おっぱいを与えるのです。
皮膚細胞も鍛えられて厚くなるようです。
げっぷも上手く出せるようになりました。一年生お母さんの誕生なのでした。
やっぱ、最初の子供は大変だよね。
親も初心者🔰だから、お互い苦労したんだよね。
この感動は、何年たっても忘れられません。私の最初の女の意地の誕生でもあったのですから。
因みに、昨今、Newsで、産みの苦しみの発言に、敏感に反応している人もおありでしょうが、その、異論を唱えている人も産みの苦しみによって、この世に産まれて来たのです。
産めない人がいるのは、当たり前の事。それは、誰のせいでも無いのに、被害妄想も甚だしいのでは。
だって、この世に存在している人は、男であれ女であれ、みんな産みの苦しみのお陰で産まれて来たのですから。
私達は、卑弥呼のDNAを引き継いでいます。我ら女の存在を今こそアピールするべきではないかと考えます。
国を作るのは、女無くして存在しません。男は、添え物くらいの考えがないと国は滅んでしまいます。
韓国や中国をご覧なさい。将来国が滅びる予想が出ているのです。
そうなる前に皆必死なのです。
日本も例外ではありません。
彼女の産みの苦しみ発言には、将来の日本を嘆いていればこその発言でもあるのです。今こそ、卑弥呼の誕生の意味を考える時なのです。
子供が産めなくて悔しかったら、里親でも養子でもしたらいいのです。
産みの親もいれば育ての親にもなれるのです。
育ての親が一番素敵です。これは、私の個人的な思いです。産みの親より立派です。
女性よ立ち上がれ、私達の大いなる野望の為にも、未来の子供達の為にも、大和の国の存亡の為にも、
イザヤー、イザヤー、大和の我等、
フレー、フレー、大和撫子❗
フレー、フレー、大和男子❗
梅こぶ茶さん、あなたはお婆ちゃんなんだから、あんまり頑張ると腰を痛めますよ。
舐めるでね~、わたしゃ、草取りも出来るだに、あっちの方だって、こっちの方だって、まだまだだに~。
ワハハハ~、オホホホ~。
─駄目だこりゃ、くわばら、くわばら、
お爺さんは、山へ芝刈りに逃げたとさ。
─ 🍀 ─
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