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短編小説 『人形』

 ここ最近、子供の頃を思い出すのです。
 人生のフィルムがあるとすれば、私の人生が完成しつつ有るのでしょうか?
 時々、遠い過去に迷い込んで、在りもしない物語をなぞり、物思いに耽るようになりました。
 傍らの私の影と甘い時間を味わい、ほろ苦い珈琲の香りは、懐かしい思いに駆られる私を無常に哀しい気持ちにさせるのでした。
 あれは、私が三才か四才の頃でしょうか?
私は、一人で村の端から端へと冒険したのです。
 ある時、
「花ちゃん、ノリちゃんの家に行ったんだって?」
 母から問われ、どうして知っているのか不思議でした。
「ひとりでよく行けたね~。」
 と、感心し誉めてくれたのでした。
 私は時々、母の野良仕事の合間に、村外れの同い年のノリちゃんの家に遊びに連れて行って貰っていました。
 その日は、とても良い天気で、退屈しのぎに一人でノリちゃんの家まで歩いて行ったのでした。
 怒られると思っていた私は、母が喜んだ事に驚きました。
 それから、殆んど毎日のように、その家に遊びに行くのです。
勿論、晴れた日だけです。
 道沿いに流れる川を眺め、十軒ほどの庭を眺め、遥かに広がる田んぼや連なる山々を眺め、ゆっくりと道草をしながらの小さな旅を楽しむのでした。
 二人姉妹のノリちゃんとセコちゃんの家に着くと
 「ノリちゃん、セコちゃん、あそぼ~。」
 広く開かれた玄関に向かって、大きな声で挨拶をするのです。
 入って直ぐに土間があり。少し前までは、右側に牛や馬を飼っていた馬屋なるものがありました。
 でも、もうそこは、がらんどうで、薄暗く不気味でした。
 左側には、農耕機械が置かれてあり、機械と言っても、みんな木で作られているのです。  
 そこを抜けると縁台があり、硝子戸が開き、ひょっこりノリちゃんが、顔を出しました。
「今日は、何して遊ぶ?」
 ノリちゃんが言いました。
 私は何も考えていなかったので、ちょと、考えた風を装い、黙ったままでした。
「じゃあさ、東京の叔母さんが、人形を買って来てくれたんだよ。着せ替え人形なんだって、見る?」
 ノリちゃんの家を訪ねるのは、一週間ぶりでした。
 たぶん、毎日、雨が降っていたのかも知れません。
 私は、わくわくしながら、跳びはねて、
「見たい!」
 と、言いました。
 おそらく未知なる物を見れる興奮で、私の目はキラキラと耀いていたことでしょう。
 隣の四畳半の子供部屋に入ると、小さな葛籠つづら箱に、人形が二体眠っていました。
「リカちゃんとミカちゃんて言うんだよ。」
 ノリちゃんの人形は、リカちゃんで赤い唇。
 妹のセコちゃんの人形はミカちゃんでピンクの唇。各々に特徴があるのでした。
 部屋中に人形のあれやこれや、小さな洋服や、着物。布団や枕が手作りされていました。
 毛糸で編んだセーターと帽子。
なんと凄い、人形は、小さな御伽の国のお姫様でした。
 午前中いっぱい私は、その人形で遊びました。ほとんど独り占め状態です。
 ノリちゃんとセコちゃんは、たぶん、人形遊びに飽きていたのでしょう。
 それとも、私に譲ってくれたのでしょうか?
 時を忘れ、もう、お昼だよと家人に言われるまで、遊んでいました。
 家に帰ってから母に人形の話しをしました。「私も欲しいな」とか、「いいな」とか、四歳の子供のたどたどしい表現が、母の心を動かしたのでしょう。
 思い出したように、薄汚れたセルロイドの人形を探して来ました。
 髪の毛は、少し焦げたように縮んで、薄汚れていました。
 お嫁に行った、私の叔母が使っていたと教えてくれました。
 大事そうに両手で受け取り、私は喜びました。
「でもね~、左手の小指を鼠に噛られていてね。これでも、いいの~?」
 母は困り顔で頭をかしげながら言いました。
 見たら、小さな小指の爪の辺りが無惨に噛られていました。
 私は、鼠さんがお腹を空して食べたのか、または、一緒に遊んだのだと思いました。
 姉妹のいない私には、鼠さんの気持ちが良く分かったのです。
 だから、ちっとも嫌ではありませんでした。
 それ以上に、人形が愛しく可愛く、小指の辺りが、何とも言えない気持ちにさせたのでした。
 母から布団と枕を作って貰い、赤い毛糸でセーターとズボンを編んで貰いました。
 薄汚れていた人形は、母から綺麗に洗って貰い、前よりも、可愛いお顔になって、少し頬がふっくらとして見えました。
 でも、やっぱり、小指の辺りが、可哀想で、私は、ぎゅっと人形を抱き締めたのです。
 ノリちゃんとセコちゃんには、私の人形を一度も見せませんでした。
 だって、リカちゃん人形を知ったら、私の人形が悲しむと思ったからです。
 私は、人形に名前を付ける事も思い附かないほどに、幼かったのです。
 でも、私の人形が二人に笑われる事は知っていたように思います。
 毎晩、一緒に眠りました。
顔を撫で、髪を撫で、痛そうな小指の辺りを撫で、心の中で、今日あった出来事を話して聞かせたのでした。
 そうして、自分にも妹がいたらいいのにと思うのでした。

着せ替えの人形の目に冬の影  花埜

    ─ 完 ─ 
 
短編小説 『 人形 』 より
    林 花埜

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