序文

〜序文の前置き〜

言葉にしたら、何とも言えないこの気持ちの整理がつけられるのではないかと思い軽率にnoteに登録した。書きながら、この気持ちは、つらくて悲しくて寂しくて腹立たしくて憎らしくて恨みがましいのだということが分かった。
いかにつらくて悲しくて寂しくて腹立たしくて憎らしくて恨みがましいのか、これでもかと書いてやろうとしたら序文だけで2000文字を超え、はて序文とは?という体裁となってしまったので、ひとつここで締めておくこととした。
前置きはここまで。以下から序文へどうぞ。







人は素晴らしくときめきを感じるものに出会った時、独り占めしたいと思うのだろうか。それとも、周囲に知ってほしい、広めて分かち合いたいと思うのだろうか。もしくは、対象に何かを与えたい捧げたいと思ったり、誰に告げるでもなく拠り所として心に聖域を持つのだろうか。恋とか愛とか推しとか宗教とか呼ばれるそれの正体が分からない。初めて出会う気持ちに名前を付けるのは非常に難儀だ。それに、必ずしも名付けることが重要とは限らない。思索を巡らせた結果、私が唯一初恋と呼ぶことにした存在がいる。





初恋にして最愛のロックンロールバンド。
THE BOHEMIANS(ザ・ボヘミアンズ)という。メンバーは、平田ぱんだ(vo)、ビートりょう(gt)、本間ドミノ(key)、星川ドント・レット・ミー・ダウン(ba)、千葉オライリー(と無法の世界)(dr)の5人である。

バンド公式Twitterより(2020/12/04撮影。渋谷クアトロにて)
左から、本間ドミノ、星川ドントレットミーダウン、平田ぱんだ、千葉オライリー(と無法の世界)、ビートりょう


出会いは2011年8月。知ったきっかけや正確な日付は忘れてしまった。ただ、8月末日に発売されたメジャーデビュー・アルバム「憧れられたい」の1曲目「メイビリーン」のイントロで最初の恋に落ちたことだけは覚えている。

それはチャック・ベリーのカバーで、不思議に歪むギターの音色から始まった。のちにその音はバイオリンの弓を使ってエレキギターを鳴らした音だと知った。チャック・ベリーのカバーなのに、生意気そうな歌声は「チャック・ベリーで踊って」なんてオリジナル和訳を歌っている。端的にいうと、皆とロックンロールを奏でて歌って聴いて踊るのが楽しいんだ、このロックンロールこそが楽しいんだ、というような歌だった。まるでロックンロールとロックンロールを愛する者へ向けたラブソング。イントロの、ギターの音に他の楽器も加わって一斉に音が鳴り始めるあの瞬間、歌が加わり音もさらに拡がるあの瞬間、何度も恋に落ちる音がして、気付けばアルバムを聴き終えていた。すかさずリピートしても変わらない、一気に体温が上がるような高揚感と解放感。それまで好きだと思って聴いていた音楽が本当はまるで好きじゃなかったみたいに、これこそが私の好きなものだと思い知らされた気がした。彼らは彼らにとって何が楽しいのかよく知っていて、それを身をもって私達に教えてくれているようだった。好き、というのはこの気持ちのことで、これが私の好きなもの、私の好きなものはTHE BOHEMIANSのロックンロールという名前なのだと、天啓のようなそれはまさしく晴天の霹靂だった。なんなら脳天直撃のとびきり大きな雷だった。

雷に撃たれた後は世界が変わった。
私は特別音楽に親しみがある家庭で育ったわけではなかった。00年代半ばからよくCDをレンタルしたり買い求めたりするようになり、何となく有名なものや新しいものは聴き知っていた。とはいえ昔の音楽は昔の音楽でしかなく、同時代の音楽も好んで聴くものは限られていた。聴いているものについて、どこがどんな風に好きか、上手く説明出来ない程度に知識も語る言葉も持たなかった。
それが、知識は変わらないままだったのだけれど、何のどこをどんな風に好きなのか気になるのか、何故か急に言語化出来るようになった。

POP MUSICやHIPHOPも愛する彼らのお陰で未知だった日本の音楽にも目が向いたし、それまで全然覚えられずにいた人名も顔も曲名も以前よりかは頭に入ってきた。好きな曲も出来たし、彼らの聴く音楽に興味が湧いて聴いてみることもあった。昔から聴いていた音楽の幾らかは楽しみ方を忘れてしまったし、聴き方が変わって更に好きなところが増えたり受け取り方が変わったりもした。

おそらく私はロックンロールのファンとは言えない部類のリスナーだ。知識はさっぱり増えないし、楽曲の元ネタも大抵気付かない。しかし彼らの音楽に触れている時、ライブで平田ぱんだが「ロックンロール!」「やったぜ!」と叫んでいる時、その時だけはロックンロールの全てを知り尽くしているような錯覚をした。その時だけはロックンロールを唯一無二に愛していた。

出会った当初彼らが謳っていた「入り口バンドになる」の恩恵をばっちり受けたことになる。私の人生は、THE BOHEMIANSに出会う以前と以降にすっぱり分かれてしまったのだ。


彼らの音楽に親しんでいる内に彼ら自身にも興味が向いた。5人が揃ったのは東京なのに全員山形県出身でほぼ同級生だとか、本間ドミノと星川ドントレットミーダウンはご近所さんで幼馴染みだとか。メンバーの名前はビートりょう以外平田ぱんだが命名したものだとか、メジャーデビューの際に当時脱退していた千葉オライリーが呼び戻されただとか、彼らについて知り得たことを好きに書き連ねようとすればキリがないのだけど、どれもこれも、知れば知るほど、彼らは漫画みたいだった。私がライブに足繁く遊びに行くようになってからも冗談みたいなエピソードや感動的なエピソードには事欠かなかった。彼らを漫画に描こうものなら、設定盛りすぎ話が出来すぎと担当編集にボツをくらうに違いない。いっそ漫画にしては出来過ぎなくらいの、この5人でかくあるべしとでもいうようなバンド。私にとっては、それがTHE BOHEMIANSなのだ。




 
楽曲や服装やステージでの振る舞いに至るまで、彼らの愛する音楽から数々のオマージュが散りばめられ、まるで大好きなおもちゃを自由自在に使って遊び尽くしているようだった。いつまでもその光景を眺めていたいと思ったし、私も一緒に遊んでいたいと思った。新曲が出る度に、更新されたブログを読む度に、ライブに行く度に、写真を見る度に、好きな気持ちは新しく積み重なっていった。
 
出会ってから此の方、何度も恋に落ち続けている。愛すべき要素に溢れた彼らに色んな角度から恋をした。5人のバンドとしての全てを独り占めしたかったし、見せびらかしたかったし、大切で仕方がなかった。彼らの「a cinematic guy」という曲の一節“恋してるって思うだけで誇らしい気分さ”そのものだった。彼らと彼らの音楽を、私は時に愛と勇気だと称し、幸福と名付けた。限られた人だけが知って深く愛してくれていたらいいなとも、名前だけでも知っている人がたくさんいたらいいなとも思った。数曲だけ知っているとか、昔好きだったんだと青春の1ページを彩るだけでもいい。いつからファンでもなんでもいい。色んなファンがいたらいい。色んな人から色んな角度で愛されているこの5人が好きだ。どんな愛され方も出来てしまうような彼らに心底惚れているのだ。

ずっと見続けている夢がある。老若男女問わず、ライブ会場やSNSがしっちゃかめっちゃかに盛り上がっているのを見てみたい。とめどない熱狂があって、その中心ではTHE BOHEMIANSが一番楽しそうにロックンロールを鳴らしている。ライブハウスで何度も見たし、色んな会場で色んなお客さんとこれからも何度だって繰り返し見るのだ。そう思っていた。









 2023年9月8日18時、THE BOHEMIANSから千葉オライリー(と無法の世界)が脱退すること、11月3日のライブが最後のステージであることが発表された。








私や彼らのファンはたった今、まさに渦中にいる。失うはずのないものを失う未来を控えている。しかしそれはまだ未来で、今ではない。その日が来るまでは何も失ってはいないし、それは本当のことなのだろうか、何故こんなことになったのだろうか、未だそればかりで何ひとつ理解出来ていない。

このあと本文として書き続けている文章があるのだが、つらい気持ちを並べたてては益々つらくなり、書いては消してを繰り返しながら掻き乱されている。掻き乱されながら、彼らがまだいることが、ライブの予定のあることが、嬉しくて仕方がない。どうしようもなく幸せを感じずにはいられない。THE BOHEMIANSについて言葉を用いようとすると、彼らの魅力ばかりが零れ出る。何故ならば、言いたいことはいつだって、彼らのことが大好きだということだけだからだ。


そんなこんなで長くなった序文はここまで。締めると述べたが推敲は捗らないし画像の選定もままならない。まるで冷静になれないでいる。序文でこの有り様なのだから、さだめられたその日が来るまで、私が本文を書き終えることはないでしょう。

最後に。
2つだけ、自信を持って書けることがある。

大好きなTHE BOHEMIANSという5人組がいる。
今、私は幸せである。







続く…?

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