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熊本城〜七不思議〜
どうも、オカルトチャネルです👻
先日、友達と熊本城に行きました🏯
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人生初の熊本城で、とても敷地が広く3時間ほど居ましたね😅
城の中も歴史を辿る仕様で、時代を感じれてとても楽しかったです♪
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更にお城の真ん前では、おもてなし武将隊という方々のイベントを見る事が出来ました!
時間帯的にも運が良く10分前に着けたので本当によかったです☺️そしてとても素晴らしい方々でした
さて、熊本城に感動をした私ですが、色々と調べていると熊本城の七不思議が存在するということなので今回は其方をご紹介します😊
熊本城の七不思議
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丑寅の方角は鬼門と呼ばれ、古くから邪気が出入りするところと考えられてきました。
築城にあたって門は造られましたが通常は閉鎖されていました。
不開門が開く時は、死人の搬出時だけだったといわれています。
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天守閣に向かう法華坂には、重箱婆と呼ばれる妖怪が出るといわれていました。
重箱を持った婆が「ご馳走はいらんかえ」といい、石を担がせるというのです。
また、ある旅人は坂にあった茶屋で、のっぺらぼうの重箱婆に会ったという話が伝わっています。
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城に鎮台があった時、ある兵が居眠りをし銃を無くして、その責任を感じ、城の井戸に身を投げました。
それ以来、「銃をくれ」という幽霊の声が、その井戸から聞こえるようになったと伝わっています。
その井戸は西出丸のとも棒庵坂のだともいわれています。
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「地図石」と呼ばれる石畳があります。
城内で唯一、石を平面に加工させて組まれており、熊本城の縄張りを表すとも、日本の地図とも、城下町の地図とも いわれています。
また、石が99個使われていることから、城の長寿を願ったまじないだともされています。
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父の仇である加藤清正を討つために横手の五郎が自分の怪力を見せ、築城に参加するため、首に石を掛けて運んだものだといわれています。
結局、五郎は清正の命を狙っていることがばれてしまい、井戸に生き埋めにされてしまったと伝わっています。
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築城にあたって、清正が銀杏を植えた時、「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時、この城で戦が起こるだろう」といったとされています。
そして、西南戦争で熊本城が戦場になった時、この銀杏は天守閣と同じ高さになっていたと伝わっています。
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本丸御殿の中に「昭君の間」と呼ばれる部屋があり、前漢の時代、匈奴に嫁がされた王昭君が壁に描かれていました。
この「昭君の間」は「将軍の間」の隠語で、豊臣秀吉の児・秀頼を迎え入れるための部屋で、抜け穴や籠城対策があったといわれています。
どうでしたか?意外と怖い内容も含まれている七不思議でしたね😅
この七不思議を知ってもう一度熊本城に行ってみたいです♪
皆さんも是非!!
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