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〜キリストに新しくされ人生の意味を見つけて〜💓🙏😀✞追記あり

こんにちは本田建也と申します。

私の家の宗教は仏教です。しかし、私は23歳のクリスマス・イヴにカトリック田辺教会で洗礼を受けました。

私は洗礼を受けた後は家の仏教から疎遠になりました。

親族の葬儀にもろくに出席せずにいました。

私は若い頃から修道士になりたい希望がありましたが病気を修道院ではお世話出来ませんと言われました。

また、私はカトリック教会で神父から「教会で頑張るよりもお仕事で頑張って下さい」と言われ教会から見放されたと云う気持ちでいました。

私は、いっそのこと背教をしようかと思いお寺で修行見習いをしました。

教会から取り残された人の気持ちは分からないと思いました。

しかし、仏教の修行見習いも3ヶ月間しか勤まらなかったのです。

それが、40歳の頃のお話しです。

私は、一人暮らしを10年間しましたが終わり、実家に親の介護もあり実家に戻りました。それは42歳頃だと思います。

両親の介護をすることが前提での実家に戻り働く事も前提でした。母さんの希望を丸呑みしました。

私は作業所で働き作業所でミシンを覚えました。

地元の作業所なのでカトリック教会の知り合いの方は、「また教会にお越し下さい」と声をかけて下さいました。

私はカトリック田辺教会で心の病になっているのは丸わかりのようでした。

カトリック教会に再び通いました。しかし、心の病になった人を受け入れる人も避けた様な扱いをする人も様々でした。

私はある時、郵便局に近道をして行こうとしたら、そこに日本基督教団の城陽教会がありました。

私は当時の牧師先生にいろいろお世話になりました。

しかし、父が亡くなり、また、実の父なのでさすがに仏教から逃げる訳にも行きませんでした。

私が城陽教会と疎遠になった約3年間は父の葬儀などや、家の名義変更手続きなどや銀行口座凍結など、司法書士さんなどにお任せせずにほとんどを私がやり精神的にまいってました。

そして、約1年後には伯父さんの長期入院に家族や親類などと相談して、司法書士さんに委任して社会福祉士さんによる伯父さんの成年後見人制度に結び付けました。

後は、母さんのために出来ること1つずつやるしかありません。

この今年のイースターに教会へ行こうと母さんを誘いましたが断られました。

母さんは父さんのそばに居たいのだと分かります。

私は、ネットのTwitterで親しくして下さるクリスチャンの励ましもあり、改心して再び城陽教会に通わせていただき転会の意思を伝えて、カトリック教会独特の私の信徒台帳を牧師先生にお渡しました。

信徒台帳とは、洗礼を受けた教会や転籍先の教会など洗礼を受けた人の戸籍の様なものです。

私は、自分に出来るベストを尽くしています。

私は今、作業所で覚えたミシンで家で裁縫製品を作りフリーランスで請け負い無しでCreemaと云うサイトで販売してます。

今、私は再び新しく生まれ変わろうとしていると感じます。

まだ、伯父さんの心配や母さんの心配もありますが全てを主なる神様のみ旨に叶う事は、全てを備えてくださると信じて、城陽教会で新しく信仰生活とみ言葉に養われて生きたいと思います。

追記です。

私は、日本基督教団城陽教会に通いはじめの頃2018/7/16の第9回修学院一日アシュラムという日本基督教団の集会に参加させて頂いた時に、分かち合いで聖書の箇所を読みました。分かち合いの中ではじめて思いに至ったことをnoteでも分かち合いたいと思います。

"家造りの捨てた石が隅の親石となった、これは神の技で人の目には不思議なこと"

聖書のみ言葉にわたしを重ねて
"私は世間的には捨てられましたが、神様は私を隅の親石のように大切にしてくださいます"
という言葉になり分かち合いをさせていただきました。

世間的にも、教会からも思い込みかも知れませんが捨てられ体験をしました。

私がいわば放蕩息子のようになったのかも知れません。

どちらにしろ捨てられたと感じてしまう条件が揃ったからです。

城陽教会では放蕩息子が父に迎えられ抱いて接吻をされお祝いをされたような気持ちです。

私はもう迷わないで一心に神様を求めてイエス様のみ名により願い祈りながら互いに愛しあいながら生きていきます✨🙏😀✞🕯

55歳にして自分の人生の意味を見つけたと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます🙏💓✞

            2024/5/5  本田建也

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