無答くんより誤答くん⑴

過不足なく
いらん事を書くと「意味なし」悪くすると「余計なことを」と言われてしまう。
雄弁ば銀、沈黙は金。❌を食らうとは否定されることに等しい。一生懸命頑張っても否定されるのなら、いっそ、「無知」と評される方がマシだ。
「いらんことしぃ」と思われるより、真っ白の方が清々しい。
過不足なくちょうどいい塩梅なんてできない。教師のさじ加減なのだ。そんな解りえないことを捜るなんてムダ。

言語化できない
見たことある。もしかしたら、聞いただけかもしれない。この場で、初対面だと言われたらそんな気になる。

見たことある。やったこともあるかもしれない。しかし、どうやったか、なんて思い出せない。ナントカするようなムダな足掻きをするよりも、シンドいことをするよりも、解ることだけ書いておこう。

やったことあるけどな。どうしたことか一向に思い出せない。何かを失う訳でもないので、スルーすることにする。

知ってるフリしてわからんことを書いて問い質されるより、潔く空欄で。

間違える怖さ
「それは違うなぁ」
「そうとも言うが、他にないか」
控えめな否定のことばだ。私の身体を遠慮なく鋭い刃物で切りつけてくる。
「他にないか」は「もうお前はいらない。役立たず」と聞こえる。
そんな大胆に否定されるより、傷の浅い方がいい。つまり、沈黙は金なのだ。

このテストで、否定されるとどこまで落ちるのだろう。立ち直れるのだろうか。もう、くたびれたよ。一緒に休んでくれるパトラッシュもいない。
道を外すと二度と戻れないのだ。そうに決まっている。
みんなで進む道は楽だ。楽しいのかと聞かれたら、否といえるが、楽しいよりも楽を選ぼう。
みんなで渡ると怖くないのだろうが、一人で這い上がるなんてできない。
紛れているのが一番だ。
ドッジボールも紛れていれば危険は回避できるのだ。チャイムがなるまでの辛抱だ。先のことは先で考えればいい。

このままでは、ゆっくりと落ちて行くのだろうか。だが、足場が無くなる怖さより滑り台を降りていくのも悪くない。

もう手遅れなのか?
みんなが喋っているのは、日本語だ。確かに日本語だ。慣れ親しんだ響きなのだ。しかし、何を言ってるのか分からない。身の回りを日本語が渦巻く。激しくなったり淀んだり流れていく。
何が違うのか。いつからこんなことになったのだ。喋っている内容は分かる。だが、なんのことか分からない。
今まで何か間違えたのか。どこで間違えたのか。みんななんの話しをしてるのだ。なぜ笑える。何を考えている。どうやって考えるのだ。

もう手遅れなのか

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