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アスコナと猿

ラファエル・アスコナ(Rafael Azcona, 1926年10月24日 - 2008年)はスペインを代表する脚本家だ。アスコナ脚本のサウラの4作品を取り上げる前に、少しだけこの人にも寄り道しておきたいと思ったのだが、見れば見るほど組む監督ごとにその相貌をくるくると変え、なかなかその尻尾を掴ませてくれない。

『小さなアパート』バスケス、アスコナ、サウラ

仕立て屋の息子

アスコナはログローニョ生まれ。父は仕立て屋だった。幼い頃から文学に親しみ、ディケンズを読みふけりながら、生活のために14歳から働いていた。父親のすすめで闘牛士に憧れるも断念し、作家になるべくマドリードに出て仲間とともにボヘミアンな生活を始める。筆名をいくつも使い小市民を描いた風刺小説を書き飛ばしてキャリアを積みはじめ、El repelente niño Vicente(忌まわしき少年ビセンテ)はこの時期に生み出した代表作。未読だが、抑圧的な公務員を父に持つ少年ビセンテが教条的な知識を賢しらに披露して周囲をうんざりさせる風刺喜劇のようだ。

表紙下に読める『お笑い会』はハンガリーに端を発する自殺撲滅を目指した笑顔推奨運動だが、のちに自殺を繰り返し取り上げるアスコナが撲滅したかったのはカテキズムとフランコイズムのほうだっただろう。

SEVERAL STUDENTS OF THE SMILE CLUB (HET LEVEN , 1937) 笑顔の見本ルーズベルトスマイル

マルコ・フェレーリとの出会いはキャリアの転換点となる。アスコナの小説をもとに映画化が決まり、1951年自身の小説をもとにした『小さなアパート』El pisito(マルコ・フェレーリ初長編)で脚本家デビューし以降様々な監督に精力的に脚本を提供する。

フェレーリとアスコナ

共作した監督はベルランガ、サウラ、ホセ・ルイス・クエルダ、フェルナンド・トルエバなど。フェレーリの他にもイタリア人監督との仕事も残している。脚本家になったのは「小説を書くよりも簡単だったから」だそうで、(自分の小説が原作でも)注文が来てから書き始め、共作も多く器用になんでもこなした。特に民主化以降は大作にも脚本提供して多くの映画賞を受賞しているが、公の場に姿を表すことを嫌い、無名であることを望んでいたとか。

サウラとはEl pisitoで役者として共演しているのだが、脚本提供は長編4作目から組んでいる。
Peppermint Frappe : 1967 
El jardín de las delicias : 1970 
La prima Angelica : 1974 
¡Ay, Carmela! : 1990
サウラ作品については別に改めて取り上げたい。

上にあげただけでも名だたる監督と組んでいるのがわかるが、とてもその全貌をまとめあげることはできないので、ここでは最も多く共作したマルコ・フェレーリ(Marco Ferreri、1928年5月11日 - 1997年5月9日)作品を見ていくことにする。なおフェレーリとアスコナについては遠山純生『フェッレーリをめぐる素描』(中央評論314号『映画を考える』所収)が参考になる。というか作品の選定はこの本に依っているので詳しい分析はそちらを参照のこと。以下取り上げる7作品のモチーフは猿と種とまとめることができる。
フェレーリは大学で獣医学を学んだが、あるとき「自分が動物好きでないことに気づいて」映画の道に進んだという。デビューで組んで以来20年近く共作をしてきた盟友アスコナとの共作は10作を超え、いずれも人間を動物(の失敗作)として観察する視点で組み立てられている。スペインのような露骨な検閲がないぶん比較的自由に製作できたようだ。見どころは時代が下るに連れ表象が巨大化していくところと、抜き身のサルたちが文明論的批判を跳ね返す逞しさを備えていくようにも見えるあたり。

戦後スペインのニューウェーブがネオ・リアリスモ、イタリア式コメディを追いかけて始まったことを念頭に(置くだけで深くは入らず)、イタリアにおけるニューウェーブの端緒だけでも齧れたらいいなあという記事のつもりだったのだが、見終わってみると、フェレーリ作品は独特すぎてイタリア映画ともアスコナとさえも離れて屹立しているようで、他の作品に繋げられる参考にはなりそうもない。アスコナのキャリアについては改めて各監督作品にあたることでおいおい展望していくことにしておこう。
とまれここんとこスペイン映画ばかりだったので、外人監督に浮気したアスコナの肩を借りて、気ままにあらすじだけおっていこう。

キャリア全体を俯瞰したドキュメンタリーが参考になる。
フェレーリ
https://youtu.be/tOpK9cW6YSw?si=k_uXTc0Hipz1QopY

アスコナ


『猿女』La donna scimmia 1963

多毛症のマリア(アニー・ジラルド)を拾ったアントニオ(ウーゴ・トニャッツィ)が、彼女に襤褸を着せジャングルの半獣半人と銘打って興行を打つ。アントニオは自宅を森に変えて自らは探検家になりすまし、はじめこそ気乗りしなかったマリアも要領よく猿真似を習得して、パリでの興行に呼ばれるようになる。パリではパリ人のように、すなわちストリップを披露して成功した頃、二人の間には新しい命が。マリアを見るなりパリの若い医者は『これはモンスターだ!』と堕胎をすすめ、研究目的の医者に任せた出産は見事に失敗してマリアは流産した後息絶える。遺体は母子ともに検体として保存されるが、商魂たくましいアントニオは博物館から防腐処理された妻子を取り戻して、広場に扇情的なセットを拵えてフリークショーを開催する。

実在の人物に取材しているようだが、あまりな結末ゆえこれ以外のエンディングもあるようだ。

モデルになった女性がいる。Julia Pastranaは1834年メキシコはシナロア生まれ。生まれつき多毛症だった彼女の生い立ちには様々な逸話が入り乱れている。サーカス団に入り北米、ロシアにまで巡業しているあたりが映画に脚色されている。モスクワ滞在中に男児を出産し、息子も母親と同じ特徴を備えていたが、3日後に死去。母親もその2日後に亡くなった。
彼女の遺体は防腐処理されて一世紀半もの間世界中を巡り、2013年に故郷シナロアに埋葬され直している。先住民差別を見直す動きの中で、彼女の存在は様々なアーティストの霊感源となっているようだ。

『教師』Il professore 1964

オムニバス『Contre-sexe』 (Controsesso)の2個目。女学校のお硬い教師が、生徒のカンニングを防ぐべく外に出られないように教室の一角に便壺を設えて、所用中の音に耳を澄ませる変態的な一遍。この教師は生徒が出払ったあと彼らの机を漁る一方で、家では老母に抑圧されており女性に対する歪んだ貞操観念を密かに抱いている。

『5つの風船を持つ男』L'uomo dei cinque palloni1965

玩具会社のエンジニアが、新商品の風船にどれだけ空気が入るのか調べようとするうちノイローゼになる話。カトリーヌ・スパークとマルチェロ・マストロヤンニが風船を挟んで戯れる。浴衣姿のスパークにクリームでお絵かきしたり、コケティッシュなバランスが絶妙なかわいい一本。『猿女』のウーゴ・トニャッツィがもらい事故を食らうおまけつき。

途中カラーパートがある。風船に誘われて会場に入ると中ではパーティピープルが色とりどりに膨らました風船パーティ真っ最中。エンジニアは手当たり次第に女性を捕まえては問いただす。『君はこの風船にどれくらい空気が入ると思う?僕の目論見だと手押しポンプで80回てところかな』
奇妙な口説き文句にパリピは戸惑い罵声を浴びせかける。あんたばか?この色キチ!

製作カルロ・ポンティ。オムニバス『今日、明日、明後日』Oggi, domani, dopodomani1965の一遍を長編化した作品のようだ。仏題はBreak-up, érotisme et ballons rouges。

『デリンジャーは死んだ』Dillinger è morto1969

妻が体調を崩して寝込んでいるので、夫(ピコリ)が夕食を作ろうとキッチンにこもるのだが、押し入れの奥から見つけた拳銃に取り憑かれて、それを一つ一つパーツに分解したあと鍋でグツグツ煮て出汁を味見して悦に入ったりしている。夕食もそっちのけで今度はプロジェクターで映画を上映し始め、画面に映る女の動きを捉えようと壁に張り付いて光の残像を追い始める。一通り遊んだあとようやく飽いて別室のメイドを訪ねてみたりしているうち、拳銃の使い方に思い当たる。妻を殺害し港に停泊している船にコックとして乗船して意気揚々に出帆する。

5月革命に触発されて撮られた一本のようだ。才気、というか勢い一発で撮られた即興劇の様相で、内容は極端に抽象化した室内劇で、セリフは少なく、あってもほとんど意味がないか話に寄与することがない。このあたりからフェレーリの映画は爆走を始める。
シナリオは初めてアスコナから離れて書かれた。即興ばかりで脚本あるのか不明だが、クレジットは次作と同じMarco Ferreri、Sergio Bazziniとなっている。タイトルは拳銃が包まれている古新聞の一面記事のこと。

『人間の種』Il seme dell'uomo 1969

終末的な世界が舞台であちこちで検疫が設けられており、ラジオからは各地で災害に悩まされている様子が伝えられる。チノとドーラ(アンヌ・ヴィアゼムスキー)の若いカップルが街を離れ海辺の屋敷に逗留を決める。海辺にはクジラの巨体が打ち上げられており、チノは遺骸を崇めてエイハブ船長になりきり、子どもがほしいとしきりにせがむが、ドーラは暗い世相を前に拒否するばかり。ある日屋敷に女がやってきて、カップルの間に緊張が高まる。女がチノに取り入りドーラを殺そうとすると逆にドーラは彼女を返り討ちにして、斧で切り刻んだ上晩の夕食にして何も知らないチノに食べさせる。気の合った女が荷物も置いて出ていったと落胆したチノは、欲求不満のはけ口に浜辺に砂の女を拵えてつかの間の慰安に浸り、夜ドーラを眠らせている間に彼女を犯して妊娠させる。海辺では動物たちが食い荒らした結果クジラが白骨化しており、腹の具合が悪いというドーラにチノは夜這いを明かして紛糾し、なぜか二人は爆死する。

『2001年宇宙の旅』を見たフェレーリは撮影監督に電話してアレがやりたいとまくし立てる。特殊効果はどうする?と聞かれた監督は、なんか発明しろ!と発破をかける。
『デリンジャー』でピコリが彩色を施した赤地に白の斑点を施した拳銃は、馬に乗った流れ者の手元に確認できる。だからなんだという話なのだが。話の原案はアスコナとも。

『最後の女』La dernière femme 1976

パリ郊外。フェミニズムに目覚めた妻が息子を置いて家を出ていき、ひとり残された男(ジェラール・ドパルデュー)が幼稚園の先生(オルネラ・ムーティ)に子守を任せて同棲を始める。男はふらふらと他の女に目移りしてちょっかいを出しては無碍に拒絶され、白髪を見つけて老いを実感している。

ドパルデューとムーティの同棲が破綻して、彼女が最後の女となってしまうという話だが、文字通りもう使えなくなったブツが血みどろで映される過剰にexplicitな一本。他作品でかろうじて象徴性に寄りかかっていたバランスが解けて、男女わけてもドパルデューのほうは外出時以外素っ裸で四六時中性器かそのかわり(棒、銃をもした玩具、息子の息子)を弄っている。ここまで来ると男女(性)をめぐる単純な二項対立も絞り粕ほどの収穫しか得られず、一抹の寂しさしか残さない。もっとも有害な男性性がこうもあっさりと裁断されることをフェレーリ、アスコナが無邪気に信じていたわけでもないだろうが。参考までに同じ1976年には『愛のコリーダ』『ジャンヌ・ディエルマン』が公開されている。

『バイバイモンキー』Ciao maschio 1978

いつともしれないニューヨーク。一度も身分証を携えず戦後を生きてきた中年イタリア人(マストロヤンニ)は、好色な仕草で女性に近づくもいつまでたってもお近づきになれない。そのかわりに?ロングアイランドの浜辺に放擲された巨大なキングコングの掌から赤ん坊猿を救出する。小猿を託されたラファイエット青年(ドパルデュー)は、舞台の雑用係としてフェミニズム劇を手伝ううち、レイプを題材にした出し物の取材の標的にされて、頭を殴打され昏倒したまま犯されてしまう。仲間の手前青年を犯した女(アビゲイル・クレイトン)は好奇心と罪悪感からラファイエットの住む半地下のフラットを訪ねて居候を決めるのだが、セックスはしないと宣言して、猿と戯れる青年と奇妙な同棲を始める。ラファイエットが小間使として働く蝋人形館に行政から委託を受けたという男がやってきて、防災基準違反のお目溢しに人形のラインナップを(顔だけ)すげかえてはどうかと打診する。館長(ジェームズ・ココ)は昔気質のイタリア系でラファイエットに男の哲学を説いて煙たがられながら、古代ローマ時代の偉人をそろえた顔ぶれがアメリカ風に変えられることに抵抗しようとする。

ニューヨークのイタリア系の末裔と、広告都市の残滓が終末的な無人の浜辺に打ち捨てられる、異形のサルたちに捧げられたたそがれの哀歌。『最後の女』と相似形をなすドパルデューの子育て奮闘第二編で、小猿がドパルデューに懐いていてかわいい。それだけにあの結末は…。『素晴らしき新世界』のラストを思わせる逞しくもとぼけた人間嫌いのアカルイミライ。

フェレーリと小猿
若きアスコナ


●アスコナのフィルモグラフィ(フェレーリ監督作)

  • 『小さなアパート』 El pisito : 監督マルコ・フェレーリ、1959年 - 脚本・原作小説・出演

  • 『おもちゃの自動車』 El cochecito : 監督マルコ・フェレーリ、1960年 - 脚本・出演

  • 『女王蜂』 L'ape regina : 監督マルコ・フェレーリ、1963年 - 脚本

  • 『反対の性』 Controsesso : 監督マルコ・フェレーリ、1964年 - 脚本

  • 『猿女』 La donna scimmia : 監督マルコ・フェレーリ、1964年 - 脚本

  • 『五つ球の男』 L'uomo dei cinque palloni : 監督マルコ・フェレーリ、1965年 - 脚本

  • 『歓びのテクニック』 Marcia nuziale : 監督マルコ・フェレーリ、1965年 - 脚本

  • 『ハーレム』 L'harem : 監督マルコ・フェレーリ、1967年 - 脚本

  • 『人間の種』Il seme dell'uomo 1969、原案?

  • 『最後の晩餐』 La grande bouffe : 監督マルコ・フェレーリ、1973年 - 脚本

  • 『白い女に触れるな』 Touche pas a la femme blanche : 監督マルコ・フェレーリリ、1974年 - 脚本

  • La dernière femme 1976

  • 『バイバイ・モンキー コーネリアスの夢』 Ciao maschio : 監督マルコ・フェレーリ、1978年 - 脚本



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