2020年7月の頃

コロナ禍が始まってしばらく経った2020年7月、第一ブログで「コロナ後の世界と日本の役割」という些か大袈裟なタイトルの記事を書いてみました。
ここではアメリカと中国のことしか言及していませんが、2022年2月に始まったウクライナ戦争は、「世界的な精神的不安定が、近い将来に本格的な世界戦争に転化する可能性」を示唆しているのかもしれません。
ま、私も別に予言者を気取る訳ではなく、漠然とした不安感は多くの人が共有していたでしょうが、実際に戦争が現実化してみると、「戦争反対を声高に叫ぶ人々も、憲法九条が大切です、みたいな古色蒼然たる念仏をひたすら唱えるだけで、およそ現実に戦争を防ぐ実効性のある運動を展開しているようには見えません」といった状況には若干の変化が見られます。
しかし、それが防衛力の増強という方向に向かうだけでは、あまり明るい未来も期待できません。
さて、2020年7月の私は、

◇◇◇
右を見ても左を見ても、自己の正義を騒がしく喚き立てる人々のみが目立ち、どうにもお先真っ暗な世界の状況の中で、私が以前から感じているのは、我が日本における多数派の漠然とした人間観、特にそのヘラヘラした宗教観を世界に「輸出」できたら、世界はけっこう平和になるのではなかろうか、という予想です。
こういうと、ああ、梅原猛流の「多神教と一神教の対立」と多神教の「寛容」の話か、そんなお説教は聞き飽きたぜ、という反応が返ってきそうですが、そんなことは全然考えていません。
「寛容」という正義のお説教が無意味であることは明らかで、検討の必要もありません。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a68cba331303b8d1df6a9eddaa3b93ef

などと書いたのですが、「宗教観」の「輸出」などはいささか度を過ぎた露悪的な書き方で、誤解を招いても仕方ありません。

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