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ジオ・ヒストリア風、道具学 ~阿波・讃岐編~

最近、youtubeの「週末縄文人」を知り見てみました。
そこで縄文時代当時に使える道具だけで、生活を少しづつ豊かにしていく様を再現している様子を見ると、感動さえ覚えますね。


ここでは古代、地理的背景をベースに、先進道具の発達した讃岐・阿波(伊予の二名島)について紹介します。
弥生時代の先進道具が、讃岐・阿波から近畿へ広がった痕跡を紹介していきます。


 ~縄文から弥生にかけて、先進実用工具の発達した讃岐・阿波~


縄文時代以前には、黒曜石による刃物が多用されていたと考えられている。
ただ、中四国からの産出は少ないようだ。代わりになるのがサヌカイトである。

黒曜石

サヌカイトによる刃物、矢じり(讃岐)

サヌカイト
四国から近畿へ ーサヌカイト流通と弥生開始をめぐってー 秋山浩三(四国考古学最前線より)

近畿には黒曜石ではなく、サヌカイトが広がっている。

巽好幸先生が語るサヌカイト

https://www.kagawa-u.ac.jp/files/4016/1475/8590/f844b65f4b7ed68a6ab045de52d76948.pdf


青石による石棒(阿波)

阿波青石による石棒が近畿にも広がっている。
石棒の使い方ははっきりわかっていないが、阿波では貝塚の中で発見されており、
・貝殻割り用道具
・コメの脱穀用道具
・栗・どんぐりの粉砕用道具
など、土器とセットで「すりこぎ棒」のような使い方がされた実用料理道具ではなかったのか?

現代に市販されている、すりこぎ棒の事例
徳島と佐久の学芸員に聞く石棒交流「徳島×佐久×飛騨、つながる石棒オンライン交流会」【令和3年11月3日開催】より 
徳島大学 中村豊氏の研究より


青石による石斧(阿波)

https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/files/public/11/114140/20200115103456836904/jhsa_27_1.pdf

四国東部産青色片岩製片刃石斧の展開 中村豊




銅鐸(阿波)

阿波鮎喰川流域で製作されたと思われる銅鐸が、瀬戸内、近畿に分布されている。

「徳島の銅鐸と阿南の銅鐸」(菅原康夫)より

「徳島の銅鐸と阿南の銅鐸」(菅原康夫)より
「徳島の銅鐸と阿南の銅鐸」(菅原康夫)より


鉄器(加茂宮ノ前遺跡、鍛冶工房跡)

日本最古・最大級の鍛冶工房村として、
徳島の加茂宮ノ前鍛冶工房遺跡 & 淡路島五斗長垣内遺跡が見つかっている。
(淡路島は江戸時代まで徳島県の文化圏だった)
加茂宮ノ前遺跡は、辰砂の大規模生産が行われていた若杉山遺跡にも近いところである。
ここで大量生産された鉄器が、近畿へ送られていた可能性は高い。


(おまけ)兵器としての馬。金メッキされた馬具、馬鐸

https://www.pref.tokushima.lg.jp/file/attachment/493821.pdf

徳島県出土の埴輪(馬形埴輪、5世紀)

5世紀に乗馬が伝わる

https://museum.bunmori.tokushima.jp/fs/3/5/3/_/No93.pdf

馬具類
金メッキされた我が国唯一の馬鐸



小松島市史 上巻
小松島市史編纂委員会 編 小松島市, 1974

馬形埴輪
馬具は金銅製、青銅製の金属工芸品であり、技術的には当時最高のものであった。


https://museum.bunmori.tokushima.jp/kiyo/2023/06_kawauchi2022.pdf



~地形と生活~


弥生以前の徳島平野の海岸線

https://www.skr.mlit.go.jp/tokushima/river/event/yoshikouza/no05/text05-1-2.pdf

https://www.skr.mlit.go.jp/tokushima/river/event/yoshikouza/no05/text05-1-2.pdf


和鉄の道 Iron Road たたら by Mutsu Nakanishi  より


阿南市那賀川流域のリアス式海岸

那賀川流域には、銅鐸、辰砂、鉄器生産などがそろっている。
平野は比較的狭く、海人が船を自在に操り、瀬戸内海・大阪湾・紀伊水道や、吉野川上流域までが交流・交易の範囲だったと思われる。
船大工が活躍するためには、鉄器による鉇(ヤリガンナ)などが重宝されたことだろう。

阿南地域の平野の広がり  「徳島の銅鐸と阿南の銅鐸」(菅原康夫)より


白鳳地震

白鳳地震(はくほうじしん)は、白鳳時代(飛鳥時代後期)の天武天皇13年10月14日(西暦684年11月26日)に起きた巨大地震。
日本書紀にも、土佐や愛媛の道後温泉まで被害にあったと記述されている。ご当地阿波の海岸部も当然に大きな津波被害が出ただろう。
これを契機に、阿波から奈良への遷都が加速したのだと思われる。

高地性集落、傾斜地農耕システム

忌部文化研究所に紹介されているように、阿波の山系は高地でも破砕帯からの湧き水で古くから農業がおこなわれてきている。
山の民と海の民が交わることで、文化を発展させてきたのだろう。
http://www.awainbe.jp/inbebunka/noubunka/


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