わたしは二宮和也にお経をあげてもらいたい

かつて相葉雅紀がいかにいいひとかって例えとしてああいう人に法事してもらいたいって言ったのおたくの間では有名な話なんですけど私は二宮和也にお経をあげてもらいたい。

(なんか去年のノートの下書きが出て来たのでもったいないから上げておくだけのとりとめのない話です。)

自宅療養3日目、日に日に悪化の一途を辿ってゾンビ状態で朝を迎えたんですが、夕方から少し持ち直しまして、無事ラーゲリより愛を込めてのBluRayを開封しましたよ。

作品の重厚さゆえにいまの健康状態で見ると大変なことになるな…と思いオーディオコメンタリーで中和してもらおう…と言うわけでオーコメで見ていたんですがまぁこちとら3回見に行ってるのでね、セリフもほとんど覚えてますし…まぁ前の音声で監督とにのみやくんが明るいトーンでゆるーく喋っていても泣きますよね…。
これは映画プロモーションの段階から感じていたんですけど、瀬々監督、結構硬派な映画を作る名監督の一人という認識だったので、もう少し怖い人を想像していたんですけど実際は非常にかわいらしい、というかシャイなお方なんだなと。
二宮くん基本的に相手に合わせるタイプなのでコメンタリーで3人体制だったり監督と2人でも監督が饒舌な方だと受け手に回る事が多いんですけど、瀬々さんがシャイなのか、結構二宮くんが回して喋ってくれる所が多くておたく的には非常にありがたいコメンタリーでした。

主人公の山本さんが病床に臥せって、死が近づきつつあるシーンで、

死って、怖いですか?
怖いですよそりゃ
僕も怖いです。でもそういう作品を作りがち。怖いからこそ扱おうとするのかな。

って会話をしていたの非常にいいなと思いました。

あ、普通に怖いんだ。
受容するタイプの人という認識なのでそこは普通に怖いのね、よかった。みたいな。
あぁ、でもそうか、先があるから受け入れられるけど、死ってそこで終わりだもんな…とかそんな事を考えました。

それよりもハッとさせられたのが、
「この時でもまだ生きられるというか、そう思っていた事が少し傲慢だったなと自分で振り返ってみて思いますね」
病床に臥せる山本さんを「生きていた」とき、横になりながら『未来のために』と題したノートをしたためていた時、死を宣告されてもなお、ダモイの日まで生きようともがいていたんだと言うことにも胸を打たれたけど、どんな状況にある人でも平等に訪れる死というものに過剰に抗う事を『傲慢』と、諦観ともとれる俯瞰での捉え方にやっぱこの人…すごいな…とただただ感服しました。
実家の方で法事の時に会うお坊さんの話を聞いてる時のような気持ちになった。
人は死んで仏さまに生まれ変わって私たちを導いてくれる存在になるという話を非常にわかりやすく、かつ生前の姿に準えて話してくださるので、お話を聞くたびに泣きそうになる、そんなかんじ。

このお坊さんかにのみやくんにお経をあげてもらえたら何かすごいフラットというか、過剰に恐れることも嘆くこともなくフワ〜って彼岸まで旅していけそうな気がする。

なのでどうか私の葬式ではsoranjiを流してください(嵐じゃないんや)

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