見出し画像

3-6. 裏道に徹すれば、いつか表の道になる。

  不二製油創立者 西村政太郎

 西村政太郎は不二製油を昭和25年に創業した。最初に手がけたのは天ぷら油の製造である。ところが、これが前途多難のスタートであった。
 当時は原料になる大豆や菜種などは日本油脂配給公社の統制下にあって、同社は後発企業で思うように調達できない。しかも、製品は知名度がないので販売も思うに任せないという状況にあったからだ。最初から他社と違うことをしなければ活路は開けないという、苦しい立場に置かれたのである。そこで手がけたのが、ヤシの実であった。

 当時はインドネシアやフィリピンに今のようなヤシ農場はなかった。民家の庭に生えている5,6本のヤシの木の実を集めるところから始めたのである。手作り的な原料調達である。

 こうして始めたヤシ油も、少しずつ市場で受け入れられるようになった。需要が増え、やがて現地に工場を作り、チョコレートやマーガリン、ケーキの原料などと次々に用途を広げた結果、独自の市場を築くまでに成長した。

 ゼロからスタートし、ニッチ市場を開拓してきたという点では、のちに健康食品として注目を集め、同社の看板商品となった、大豆タンパクも同様である。

 大豆から油脂分(20パーセント)を取ったあとの搾りカスは家畜のエサや肥料に回される。この搾りカスの半分を占める良質な植物性タンパク質を、食品として売り出せないかと取り組んだのが、大豆タンパクだった。
 製品化はすぐにできたが、しかし、国内ではまったく売れなかった。経営的にはお荷物の状態がずっと続いたのである。

 大豆タンパクを使ったハンバーグやスポーツ飲料などが市場に出回り、黒字化のメドがついたのは、工業化をスタートしてから30年後のことだった。
 このプロセスをずっと共に歩んできた西村政太郎は、

「途中で何度か撤退が議論されたが、創業当時の精神を思い出して踏み止まった。人と違うものを作れをスローガンに裏道ばかりを歩いてきたが、これがいつのまにか表の道に変わった」

と語っている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?