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031.横浜情報文化センター(旧横浜商工会議所)

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物027/日本大通り≫
*神奈川県庁舎の前から見た全体像。どっしりと構えた中に気品があり、
角(かど)の丸みが優しさを出しています。
 
 横浜の中心部は、タテヨコを抜く2つの道路が核になって構成されています。それが、北西から南東に走る本町通りと、交差して南西(横浜公園)から北東(県庁舎)に向かって走る日本大通りです。交差しているのが神奈川県庁前です。
 そして、この2本の通りの交差点に立つのが、横浜情報文化センター。かつての横浜商工奨励館です。管理者は、公益財団法人横浜企業経営支援財団。
 関東大震災後の昭和4年(1929年)に作られた、鉄筋コンクリート造り地上4階、地下1階のコの字型のビルです。設計は横浜市建築課。コの字の両肩にアールがついているために、見た目が軟かくなっています。このビルがコの字型をしていることは、外から見ると全くわかりません。
 見るからにどっしりしたビルですが、それもそのはず、関東大震災後の復興事業として建てられたビルで、それだけに頑強にしっかり作られているのです。
 企画・計画時の名称は横浜商昴陳列所でしたが、完成後は「横浜商工奨励館」としてオープンしました。平成11年(1999年)横浜市歴史的建造物に認定されています。
 完成したときは、1・2階に商品陳列所、3階に各種事務室と中央に貴賓室があり、4階は横浜商工会議所が入居、屋上には横浜港の展望やイベントなどを楽しんだりできる施設まで整えられていました。

階段室。大理石でしっかり作られています。大震災の復興の意味で、
通常以上に頑強に作られているということもあるように思います。

外観も丸みを帯びたフィルムがなんとも優雅です。
外壁は、グレーの大きめの四角い石で、人造石のようです。少し離れた三井物産ビル(025)の白いタイルと、交差点をはさんで向き合う県庁舎のスクラッチタイルとの調和を図って決められたとか。そこまで考えるとは、横浜市建築課のなかなかやるではありませんか。
 
 ■情報化時代の申し子
 平成12(2000)年に、旧建物を若干改造し、コの字の空いているところに高層棟を増築し、横浜情報文化センターとして改めて開館しました。
 現在は、2-3階に日本新聞博物館が、8-9階に放送ライブラリーが入っている以外は、一般のテナントが入居しています。このメディア関連の2つの施設が入っていることから情報文化センターと名付けられています。なぜ新聞博物館が横浜にあるのかといえば、実は日本での日刊新聞が発祥したのが、横浜だからです。

中華街の関帝廟通りに日刊新聞発祥の地碑が設置されています。1864年ジョセフ彦が
この場所(居留地141番地=山下町141)で『海外新聞』を発行しました。

新聞博物館は、日本新聞協会が運営する新聞に関する展示館で、新聞を読めるほか、過去の企画などを閲覧できるようになっています。1階には、静岡新聞社が昭和の時代に使っていた大きな高速のオフセット輪転機が展示されています。
 また、放送ライブラリーは、放送法に基づいて設置されている、わが国唯一の放送番組専門のアーカイブ施設で、NHK、民放局のテレビ・ラジオ番組、コマーシャルがここで公開されています。申し込めば誰でも無料で過去の番組などを閲覧できまる便利な施設です。詳細は、以下にご確認ください(https://www.bpcj.or.jp/info/)。

日本大通りに面した正面玄関。整然と並んだ窓に、ベランダ風のデザインが、
映画のシーンのようなイメージを持たせています。

日本大通りをはさんで、横浜地方裁判所から見ると、正面は左右対称で、1階中央に玄関入り口があります。1階は石張りといっても人工石のようですね。玄関周辺にアール・デコ風のデザインがあり、2-3階の窓は規則正しい縦長窓、4階はアーチ窓、それぞれにベランダがついていて、その上にコーニスがつけられています。映画のシーンに使われるような光景です。
 内部も、大理石が使われた階段や3階に貴賓室などがあり、かつてのまま修復保存されているようです。
横浜商工奨励館は、かつて米国領事館が置かれた地であり、単にモニュメントとしてだけでなく、建物そのものも横浜の震災復興期を代表する貴重なものといえます。

1階内部、アーチ梁、漆喰の飾りなど、昭和初めの重壮な意匠が印象的です。

●所在地:横浜市中区日本大通11番地


 

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