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Y4-5. 基地内に残る海軍遺跡――横須賀鎮守府

        旧横須賀鎮守府。外壁は鉄骨に鉄網セメント吹付の上に
        小豆色のタイル貼り、内壁は鉄網モルタルと漆喰塗り。

■威風堂々とした海軍の奥ノ院
米海軍横須賀基地のゲートを入ると、ドックの手前の右に高台があるが、その高台の上にあるのが、大日本帝国海軍鎮守府の本庁舎と横須賀海軍艦船部の建物だ。
 
横須賀造船所は、明治5(1872)年以降、海軍の配置になり、明治17(1884)年には横須賀鎮守府の直轄になり、同22(1889)年鎮守府造船廠になった。
 
鎮守府とは、大日本帝国海軍の艦隊の地方を統括する機関で、横須賀のほかに、佐世保、呉、舞鶴の各鎮守府があり、横須賀鎮守府は最初に設定された最大の鎮守府だった。
 
明治23(1890)年に初代の本庁舎が建設されたが、関東大震災で全壊したため、大正15(1926)年に建設されたのが現在の本庁舎である。現在のといっても、いまは米軍基地の中にあり、米軍が使用している。
 
鉄骨造りの三階建て総建坪675坪、柔構造を基本とした耐震設計で、防火対策も取られている当時としては近代的な建物だった。
海軍所属の真島健三郎の設計で、持論の壁を軽くするという耐震構造を実践している貴重な事例だ。
 
ここの司令長官は大将か中将クラスが務めた。
当時、東洋一の軍港と言われた横須賀港をもつ最大の鎮守府にふさわしく、シンプルだがどっしりした建物で、若手などは、近づくだけで震え上がったのではないか。
現在は、米海軍司令部が本部として使用している。
 
隣に旧横須賀鎮守府会議所・横須賀海軍艦船部の建物がある。こちらは昭和9(1934)年に建てられた鉄骨造り二階建て。外壁は小豆色の煉瓦タイル張りで、建物前面の中央部には大きな柱形が白で立ち上がっている。
 
建物上部には三角破風があり、1階が執務室、2階が会議室・ホールになっている。現在は米海軍の第七艦隊の司令部として利用されている。

鎮守府建物のエントランス。二階への階段は存在感がある。
1階のオフィス廊下。ドアの両側や天井などに細かな装飾が施されている。
入り口には海軍の組織図がある。
旧横須賀鎮守府会議所・横須賀海軍艦船部の建物。2階建てだが、
2階が天井の高いホールになっているので、4階建てくらいの高さがある。
建物に入らずに外から2階ホールに行けるようになっている。
入り口に小栗上野介とヴェルニーに敬意を表して写真が掲示されており、
旧大日本帝国海軍の鎮守府の司令長官などの写真が掲示されている。
横須賀鎮守府会議所の2階ホール。すっきりした鉄骨組の機能的な美しさがある。
着任式など催し物や集会に利用されているようだ。

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