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浦賀ドック――世界でも希少遺産の2つのレンガドック

                     浦賀ドック(旧住友重工業)

(1)浦賀はドックの街
 
■世界に5基しかないレンガドック遺産
開国とともに政府は、浦賀に流れる長川の河口に造船施設をつくり、日本初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造した。
1860年に太平洋を横断した咸臨丸を出発前に修理したのもここだ。
 
その後、ここに大きなドックが作られ浦賀ドックとして親しまれた。2003年に稼働を停止した巨大なクレーンが残るレンガドックは、いま再開発が進もうとしている。
 
あまり知られていないが、浦賀には貴重なドックが2つ残されている。
一つが浦賀駅前の住友重機械工業のドック、もう一つが浦賀湾口にある川間ドックである。
 
どちらもいまは使われていないが、明治30年頃につくられたもので、
・オランダ・アムステルダム郊外のデン・ヘルダーの2基
・ロッテルダムヘルフースルイス郊外の1基
 
とともに、世界に5つしか残されていないレンガ造りのドックの中の2つなのである。
 
レンガドックは、歴史のなかである時期しか作られなかった世界的にも貴重な産業遺産で、オランダの3基は再開発されて、博物館として整理・保存・公開されているが、浦賀の2つは手つかずの状態だ。
 
とはいえ、実はどちらも見ることができる。これを見逃す手はない。今のうちである。
 
三崎や城ケ島、観音崎、久里浜の東京湾フェリーなどに行く際には、ぜひ寄ってみたい。
 
アクセスは京急線の浦賀駅から。
品川から快速特急を利用して1時間弱、京急本線の終点だ。京急線は、久里浜線ではなく、こちらが本線だという所に、浦賀の歴史が感じられる。
 
駅を降りると、目の前のV字型に伸びる2本の道路に挟まれて工場が見える。
これが通称浦賀ドック、住友重機械工業㈱浦賀造船所である。
 
造船所としては平成15(2003)年3月末日をもって閉鎖されたが、この地は、嘉永6(1853)年に幕府によって造船所がつくられ、渡米前の咸臨丸が修理を受けた、造船史に欠かすことのできない由緒ある場所なのだ。
 
浦賀駅を起点に、住友重工のレンガドックと造船台、さらに川間ドック、江戸時代の灯台である燈明堂を訪ねてみよう。
途中、駅から浦賀の歴史を味わいながら順に歩いても、片道3kmほどの道のりだ。

京浜急行・浦賀駅前。V字に走る道路の間に住友重機械工業㈱造船所、通称浦賀ドックがある。
造船所前の歩道にはめられた咸臨丸のレリーフ・タイル。アメリカに出港する前にここで修船した

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