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5-3. 先見性と早耳は違う。

 三浦工業会長 三浦 保

 三浦工業は、1927年に松山で個人の事業・三浦製作所を創業した。戦後の1959年(昭和34)年に三浦製作所として法人化してボイラ-の製造を始め、1978(昭和53)年に三浦工業と名称を変える。
 地方で創業した企業が成功し、大きくなると、もともとの本社を引き払い東京に本社を移転するということはよくある。しかし、同社は東京にも本社はあるが、松山の本社は動かさない。
「情報を入手しやすい東京の会社に比べると、地方の会社は先見性に劣るのではないか」と思われがちだが、三浦はむしろ、地方にいたほうが時代の流れをじっくりと見据えることができるという。

同社はもともと、三浦が開発した全自動制御の小型ボイラーから始まったが、その後、熱機器、水処理、ボイラー保守サービスへと事業を展開してきた。
 これは、
「むしろ東京にいなかったから余計な情報にふり回されず、独自の判断で進められた結果だ」
と三浦は言うのである。

三浦の成功は、それまで小型ボイラーは石炭を燃料としていたのを、やがて石油の時代になると予見し、石油用のボイラーを開発して、町のクリーニング店などに売り込んだことが原点になっている。

しかし、新しい製品でもあり、納入したはいいが故障も多く、そのたびにユーザーを回らなければならなかった。ユーザー回りは大変な労力であったが、しかし、これが三浦に成長のチャンスをもたらした。
 ユーザーを回ってつかんだ新しいニーズが、次の新製品の開発につながった。面倒なメンテナンスをいかに処理するかというところから、メンテナンスそのものをビジネスにするという発想も生まれたのである。
こうして、いまやボイラーのほかにも、水処理機器、船舶機器、家庭用軟水装置、食品機器などで全国展開し、三浦グループで海外にも展開する。

 こうした経験から三浦は、

「情報は集めるより、どう使うかが大切。先見性と早耳は違う。情報は入手しても自分なりに咀嚼しないと意味がない」

とも言っている。

 さらに、情報をとらえる問題意識が重要だとして、三浦は次のように言う。

「問題意識を持ち続けていれば、少ない情報をチャンスに変えることができる。あとからふり返ればそれが先見性ということになる」


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