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042.汽車道、港一号、二号、三号橋梁

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物041/みなとみらい・新港地区周辺≫
*いま汽車道として遊歩道になっている道は、桜木町(高島町駅)から新港地区にかけて敷かれていた貨物用の鉄道路線(臨港線)でした。
 
 
 ■パーマーによる新港計画
 1859年に米をはじめとして英仏蘭露の5カ国の要望に応える形で横浜港を開港しましたが、外国人に用意された港湾施設は、いくつかの小さな桟橋だけでした。しかし、いざ開港してみると、来航する船舶が大型化し、人員も積み荷の量も増え、だんだん処理することができなくなってきました。
 明治20年代になると、欧米の先進的な港湾施設や、今後の物流の在り方など情報が届くようになり、何より、H.S.パーマーら外国人専門家の意見書などがきっかけとなって、日本にも、欧米並みの港湾を持ちたいという要望が生まれてきます。
 明治政府にとっては、欧米に負けない力をつけることが大きな課題でもあり、欧米の施設をこえる港湾を作ることが大きな目標になってきます。追いつけ追い越せの標語は、すでにこの頃に私たちの中に芽生えていたわけです。というよりも、横並びという性向はもっとずっと前から私たち自身の中にあったものかもしれません。
 
 そんな時にタイミングよく出されたのがパーマーの新港計画書でした。大型の船舶が接岸できる桟橋と貨物を保管できる倉庫を建設する、さらには迅速な荷役処理ができる荷役処理設備を備え、迅速な輸送・荷役を実現する・・・などを盛り込んだ、新しい港湾計画です。
 
 ■陸海一貫輸送の臨海連絡路線
 当時、欧米の進んだ港では、鉄道路線を埠頭に引き込み、大型船舶でついた積み荷を降ろすと同時に、鉄道に積み込んで輸送するといった一貫輸送方式が推奨され、すでにいくつかの港で実現し、ハブ港として人気を集めていました。そうした施設を米欧使節団として見てきた政府首脳には、わたりに船の提案でした。
 最終的にはこうした仕組みを目指して、海を埋め立て、明治32(1899)年に新港計画が作られました。この時に整備された一角を、現在でも新港地区と呼びます。桜木町から汽車道を行き、ナビオスから先、赤レンガ倉庫までの一角がその地区です。
 長期的な一貫計画で大型の船舶が接岸でき、陸海一貫輸送を目指した貨物専用の線路が敷設され、倉庫も整備され、税関もできて、旅客を扱う駅までが作られました。こうして海運時代の幕開けに間に合うように世界でも最新の港湾施設が完成しました。最終的に完成した姿が下の新港鉄道路線図です。この区間を臨海線、税関線などと呼びましたが、正式な名称は?です。
 現在この新港地区はハンマーヘッドパークとして国際ターミナルが設けられています。

 ■汽車道の遊歩道
 桜木町の駅前、1号ドックから、右からくる大岡川を越えて、港を横切るように一本の道が、新港地区に向かってのびています。これが貨物用の鉄道として明治42(1909)年に整備された臨港鉄道の貨物線の線路です。いまは「汽車道」と呼ばれて遊歩道として、ケーブル「エアキャビン」が併設され、上から楽しむことができます。
 新港の岸壁から入出荷する貨物を輸送するために作られた鉄道用の土手で、いまでは一部線路が残されて、ワールドポーターズのある運河パークに達する約500メートルの遊歩道となっています。
 この土手の汽車道は、小型船が通り抜けられるように、3つの橋が設置されていて、手前から港一号橋梁、港二号橋梁、港三号橋梁です。
 間に挟まれた2つの小さな土手道の人工島を3つの鉄橋がつないでいて、土手道と2つの人工島(正式名称は「新港連絡線鉄道線路護岸」という)、3つの橋梁は、それぞれ横浜市の認定歴史建造物に指定されています。
 ところどころに、枕木とおぼしき太い木材でシンプルなベンチが設置されているので、心地よい風に吹かれながら一休みするのもいいですね。
 
 ■港一号橋梁・二号橋梁
 港一号橋梁と港二号橋梁は鉄道院が設計し、明治40(1907)年にアメリカン・ブリッジ・カンパニーで製作されたものです。港一号橋梁は30フィートの桁橋2連と、100フィートのプラット・トラス橋(垂直のけたが入れられている)、港二号橋梁は100フィートのプラット・トラス橋です。
これらが架けられたのは、明治42(1909)年で、親橋の表に製造者の「AMERICAN BRIDGE COMPANY, OF NEWYORK,USA,1970」 銘板がつけられています。仰ぎ見るような位置にありますが、見やすいので、確認してみてください。

汽車道を入ると最初にある港一号橋梁。1907年にアメリカで作られたプラット・トラス橋。
港二号橋梁。一号橋梁と同じアメリカ製の100フィートのプラット・トラス橋。

 汽車道の土手部分は、石、タイル、線路間は板で舗装されていますが、橋の上は板張りのボードウォークになっていて、歩きやすく心地いい。
 港二号橋梁を過ぎて、運河パークにつく前に、道はゆるく右にカーブし、先に横浜国際船員センター「ナビオス横浜」の凱旋門風のビルが見えます。その手前の、汽車道が終わる寸前の左手にあるのが港三号橋梁です。
 
 ■港三号橋梁
 この橋は、港一号、二号と違って橋桁が低いイギリス系のワーレン・トラス橋。左右だけで上の横木がないポニー形の100フィート橋で、橋のけたがW形で支えられているのが特徴です。日本最初の鉄道橋(旧六郷川橋梁)も、ポニー型のワーレン・トラス橋でしたが、設計は同じく鉄道院、作ったのは川崎造船所兵庫分工場です。

港三号橋梁。イギリス系のポニー型の低いワーレン・トラス構造で、
作ったのは川崎造船所兵庫分工場です。

 この橋梁はここのために作られた橋ではなく、明治39(1906)年に北海道炭礦鉄道夕張線の夕張川橋梁として架けられ、昭和3(1928)年に、横浜の大岡川に架かる旧生糸検査所(現:横浜第二合同庁舎)引き込み線の鉄橋の一部として利用されたものでした。それが廃線となったために2メートルほど短縮して転用されたものです。
 3つの橋の中でも一番古く作られたものでしたが、ここに来たのは平成9(1997)年と新しく、ここで3度目のお務めを果たすことになったものです。
 
 汽車道と3つの橋梁。海を渡ってくる風も心地よく、また、振り返ってランドマークタワーやみなとみらいのビル群、コスモクロックなど眺めるビューポイントとしてもおすすめです。向かいの北中地区の帝産倉庫がザ・タワー横浜北仲になり、新横浜市役所も真正面に見られるようになりました。
 ナビオスから先に進めば、ハンマーヘッドパークとして再開発された新港地区に入り、500メートルほどで赤レンガ倉庫があり、その先に象の鼻、大さん橋、山下公園とつながる観光の入り口でもあります。いま、ここには、エアキャビンが作られて桜木町駅前から、ナビオス前まで、空中散歩を楽しむことができます。
 ●所在地:横浜市中区新港2丁目9


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