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041.日本丸メモリアルパーク(横浜船渠1号ドック)

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物039/みなとみらい・新港地区周辺≫
 *1号ドックは、いまは日本丸メモリアルパークとして、引退した航海練習船日本丸を係留・保存しています。写真は祭日に行われる満艦飾に飾られた日本丸。
 
 
 ■全長150メートルの大型船舶用ドック
 横浜船渠が設立され、ドックが外側から1号~4号が作られましたが、最初に完成したのが2号ドック(038横浜船渠2号ドック(ドックヤードガーデン))でした。続いて明治32(1899)年に完成したのが1号ドックで、現在は水を引き込んで帆船日本丸の展示ドックとなっているものです。
2号ドックは復元・保存するにあたって若干位置が動かされたのですが、1号ドックは、もともとあった位置にそのまま残され、水をたたえて練習用帆船日本丸の繋留地として使われています。
 繋留といっても、ドックに入渠し浮上した状態で保存されており、付属する帆船日本丸メモリアルパーク、横浜みなと博物館は多くの観光客を集めています。
 
 1号ドックは、最終的に3基(3号ドックは解体された)作られたドックの中で、一番手前、外側にあるドックで、着工する際に、工期が短く早く完成する方から先に作ったために、内側にある2号ドックが先に完成し、続いて大きな1号ドックが作られた。それだけ、修船施設が待たれていたということでもあります。

1号ドックを渠口の海側から見たところ。
閘門(扉船)で水がせき止められているのがわかります。

 1号、2号というのは作られた順番ではなく、最初にH.S.パーマーが新港計画で設計した際に大きいドックから順番に1号、2号と番号を付けたためです。
  1号ドックの大きさは完成時で、長さ142m、幅(渠口下部):22.7m、深さ(渠口満潮時)8.8m。作られた当時は、戦艦大型化の時代の中でも、先を身越してかなり大きめに作られたのでしたが、それでも予想以上に船舶の大型化が進み、大正期になって、長さが147mへと渠頭部の拡張工事が行われました。
 石造りの構造などはほとんど2号ドックと変わらず、石材は真鶴産の本小松石、新小松石、六が村石。積み方もブラフ積みで同じです。

ドックの本体部分は小松石が使われていますが、大正時代に延長された渠頭部分はレンガ積み。


ドックの本体部分は小松石が使われています。
1号ドックと2号ドックの間にある89年間稼働した蒸気稼働の排水用ポンプ。
1899年イギリス製。排水時間を短縮するために、2台が設置されて、
どちらも両方で同時に使えるようになっていました。

 2つのドックは平行にではなく渠口が寄り添うような斜めの位置で作られていますが、これは船舶の導入路の浚渫を効率的に利用するために、ロケーションが決められたもので、3号ドックも含めて、ドック入りする船舶が1本のルートで入港し、渠口に近づいたところで、コースを分岐させることで、浚渫費用を安価に済ませる工夫でもあったのです。
 
 ■海の貴婦人――航海練習用帆船・日本丸

年に数回、ボランティアにより帆を広げ/畳む総帆展帆や、祝祭日の満艦飾などのパフォーマンスが行われています。帆を広げたその美しい姿から、現役時代は海の貴婦人と呼ばれていました。

日本丸は、昭和5(1930)年に、公立商船学校の専属の練習船として姉妹船「海王丸」とともに建造された練習帆船です。概要は、以下の通りです。
・船種:帆船(4檣バーク型)
・用途:練習船
・定員:138名(練習船時代196名)
・総トン数 : 2,278トン
・全長(バウスプリット含む): 97メートル
・幅: 13メートル
・平均喫水: 5.3メートル
・総帆数: 29枚(畳1,245枚分)(練習船時代35枚)
・最高マストの高さ: 水面から46メートル
 
建造以来、約54年間にわたって、商船大学航海科実習生の帆船による遠洋航海練習船を務め、戦後は遺骨収集や、海外在留者のための帰還輸送航海などに従事し、地球を45.4周する距離(延べ183万km)を航海してきました。育てた実習生は、11,500名にも上り、遠洋航海で訪問した国は100ヵ国を超え、海外親善にも大きな役割を果たしてきました。
 大型帆船の設計をしたことがない日本は、イギリスのラメージ&ファーガスン社に設計を依頼しましたが、建造したのは川崎造船所(神戸)。エンジンは、池貝鉄工所に依頼、川口工場で試行錯誤の末に完成させました、同社製では初の船舶用大型ディーゼルエンジンでしたが、54年間動きつづけ世界一の稼動年数記録を打ち立てています。
 
 しかし老朽化が進んだことから、昭和59(1984)年、船員養成の任務を「“新”日本丸」に引き継いて引退しました。保存、係留地として多くの都市が手を挙げる中、横浜市が横浜みなと博物館を新設して1号ドックをメモリアルパークとして展示・保存することを提案し、獲得しました。

ドックの水を抜くと、日本丸が固定されておらず、水の中に浮かんでいることがわかります。



 姉妹船の海王丸とともに、その美しい姿から、「太平洋の白鳥」や「海の貴婦人」などと呼ばれて世界的にも知られています。今は新日本丸がそれを受け継いで活躍しています。
 現在、1号ドックに係留されている初代日本丸では、年に数回、ボランティアスタッフによって帆を広げてたたむ総帆展帆や、お祝いのときに国際信号旗(船の通信に使用する旗)を掲揚する満艦飾などのパフォーマンスが行われていいます。
帆の枚数は全部で29枚、100人に上るボランティアが午前中にマストの上まで登って、帆を広げ、午後にたたむ様子を見ることができます。満艦飾は祝日には行われています。
 詳細は以下、https://www.nippon-maru.or.jp/ でどうぞ。
 このドックの奥に、水陸両用バス「スカイダック」の乗り場があります。バスが道路を走って専用スロープからそのまま海に入り、湾内を一巡するので、海から横浜の光景を楽しむのもありかもしれません。


水陸両用バス「スカイダック」海のなかから横浜の光景を楽しめます。
乗り場が1号ドック渠口の近くにあります。


●所在地:横浜市西区みなとみらい2丁目1−1


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