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ものづくり 日本の心

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日本のものづくりは世界の財産です。私たちはなぜ、こんなにコンパクトでこぎれいなものを作るようになったのでしょうか。ご意見をお聞かせください。
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#キャッチアップ

029.未だ創造的能力を誇る能はず

 この後、日本はいまだ創造的な能力に欠けるところはあるが、良い点は積極的に取り入れていく…

梶文彦
1年前
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030.日の丸…昇る朝日の尊き徽章

伊藤博文は、スピーチの最後を、誇らしげにこう締めくくります。ここがこの日、伊藤が一番言い…

梶文彦
1年前
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031.「超ド(ドレッドノート)級」戦艦の完成

さて、維新後に政府は殖産興業・富国強兵をすすめる政策を展開し、戦艦づくりを目指して1857(…

梶文彦
1年前
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032.世界のパラダイムを変えた日本のものづくり力

西欧を目指して追いつけ追い越せで突き進んできた日本は、その猪突猛進の勢いのまま第二次大戦…

梶文彦
1年前
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055.キャッチアップの能力――三つ子の魂は千年を超えて

当時の日本にとって、大きな情報源は大陸の先進国「隋」や「唐」でした。自分たちの存在を大陸…

梶文彦
1年前
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028.文明の最高点に到達せんとする

伊藤は次のように続けます。  日本は、アメリカとの修好通商条約を結んだあと、イギリス…

梶文彦
1年前
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027.日本に実施せられたる幾多の改良

スピーチは主として「伊藤博文伝(上)」(②春畝公追頌会、統正社)によります。以下文中( )内は、筆者付記です。  ここまではイントロ、相手国に対する儀礼とあいさつですね。 当時のアメリカは前述したように、独立を果たして100年、南北戦争も北軍の勝利で奴隷解放が進み、また、大陸横断鉄道も完成したばかり。蒸気機関や産業革命の成果を積極的に導入し、自らも工夫改善を進めて経済発展に自負を持っている時期です。 アメリカ人の日本への知識については、前年、伊藤博文がニュー

026.31歳伊藤博文の英語スピーチ

明治4(1871)年、岩倉使節団は最初の訪問国アメリカで大歓迎を受けます。サンフランシスコに…

梶文彦
1年前
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