ゼイリブのプロレスシーンを真剣に考えたら頭がおかしくなるから辞めた方が良いという話

https://www.youtube.com/watch?v=u6uWEa0paQI

というわけでゼイリブ編の動画をアップしたあと、原稿があまってるので、そいつを書いて行こうと思います。

ゼイリブのプロレスはなんであんな面白いのか?

今回の動画で組みこめなかったものの、動画を作っている最中、ずーーっと気になっていたことがあります。

それが「なんでゼイリブのプロレスシーンはあんな面白いのか?」

というものでした。

しかし、ただ普通にプロレスをするのではなく、とても不思議なプロレスをやる。

サングラスを掛ける、掛けないという理由からプロレスが勃発する。
こんな理由でプロレスが始まる映画は殆どない

しかも路上でサングラスをかけるかどうかで、いきなりプロレスがはじまるため、なぜ???となる。服装もプロレスラーのそれではないし、そもそも唐突すぎるのが面白い。

さらにこれが5分以上続く。

普通にプロレスを見るのであれば、まったく不思議ではない。

けど、プロレスを主題にしていない、しかもSF映画で、いきなり5分ものプロレスが続くのはさすがに初見はビビル。

ゆえに、誰もが「長い!なんだこのアクションシーンは!」となり、面白くなってしまう。しかも普通に面白いのではなく、どこかシュールなのだ。

だが、これがプロレス以外のアクションシーンであれば、5分は本当に長くて、あんな感じの面白さになるのだろうか?

なら、ムエタイやったらどうだ?空手は?功夫は?と色々想像してみたが、やはりこの面白さはドー考えたってプロレス以外ない。これほどのワケのわからなさはプロレス以外で出せない。

しかも、5分ずっとプロレスだから長い!なんだこれは!となる。

しかも多くの人間が、みんなそうなるのが面白い。
実際僕も笑った。
何をみているのかワケがわからなくなってしまい、脳が笑う以外の行動を取れなくなってしまう。

つまりこのシーンの面白さは「混乱」にある気がしている。

けど、そもそもプロレスラーが映画の中でプロレス的な技を掛けることはよくある。それで混乱はしない。ゼイリブだけがそうなる。そして謎の違和感が常にある。

だが考えてみれば単純だった。

これは確かにプロレスをやる映画だ。

だが、映画の中で突然プロレスのアクションシーンがはじまるわけではない

アクションが始まった途端、SF映画からプロレス映像に変わってしまう映画なのだ。


脳がバグるプロレス

映画がいきなりプロレス映像になる

行ってみれば、BSでスターウォーズを見てたら、いきなりプロレス放送にチャンネルが切り替わるようなことが起きる。

ゼイリブ未視聴の方はんなわけるかと思うだろうが、実際みれば解る。チャンネルが切り替わるかのようにいきなりプロレスの映像が始まるのだ。

その原因の一つが、戦う両者がプロレスの動きを完全にやりすぎていること。

だが派手ではない、わりと地味だ。

なにせここはあくまで「喧嘩」のシーン。しかもロスの路地裏。
なので打撃が基本で、ロープを使って走ったり、走ってラリアットで吹き飛ばしはできない。

なのに凄い。サングラスを渡そうとしたナダが、フランクに一発パンチをもらった瞬間から、誰の目からみても「プロレスがはじまった!」と思うのだ。ただパンチを貰うだけで。

これは、ナダ役のパイパーのプロレス力が高すぎるゆえに「プロレス」と認識させるのである。

殴られた時の動き、声、動作、リズム、表情の全てがプロレス。

プロレスの象徴的な技でプロレスアクションシーンをやるのでは無く、やられる演技をプロレスそのものにすることで、世界観ごとプロレスにしてしまっているのだ。

そして、この一動作でプロレスワールドに視聴者を引き込むパイパーは凄まじい。

そもそも、映画のアクションシーンにおける技術とは、やられ側の演技力がめちゃくちゃモノをいう。殴るほうが素人でも、殴られる側がプロのスタントマンなら、めちゃくちゃ良いシーンになるし、これはプロレスでも同じと言われている。

だが、映画場合、それはカメラでの映えを狙ったものだし、ある程度地味めにリアリティ優先でやる。
一方、プロレスのそれは試合のためのもの。つまり「カメラが無い状態で、遠くから見てもわかりやすい」ものであるため、全てがデカい。

この差があるため、普通に殴っただけで「プロレス!?」とわかってしまう。いや、解るだけでなく映像そのものを映画からプロレス映像にスイッチしてしまうのだ。

そして起きるのが、脳の混乱だ。

まて、これはプロレスなのか?アクションシーンなのか?
と、ここから脳がバグりはじめる。。

しかも、あくまでアクション映画的な映像技術や演技を使っているのが、さらに脳をバグらせていく。

特に攻撃を受ける場面がバグっている。

このシーンの投げ技は全て、投げる絵と、投げ終わり落下する絵のカットでつなぐ。
これはアクションシーンなら普通だ。
地面に落下して怪我したらまずい。
そこで着地用マットの上に落とし、そこから別のシーンにつなげ、さも地面に叩きつけられましたという形で撮影しているのだろう。

けど、僕はここで脳がバグってしまった。

なにせ、そもそもプロレスで技を受けずに、編集でゴマカされた経験がまったく無かったからだ。

いや、ゴマカすという言い方がわるい、それが映画の技術なのだ。これはプロレス映像ではない、SF映画のアクションシーンなのだ。

しかしこれがプロレスであれば、着地用のマットなど敷いてあるわけがない。レスラーが技を受けないなんてありえない。それも真剣にやっているのに、マットがあることを察知したら引いてしまう。

だから普通は「あ、マットに落ちた編集だな」とわかってもスルーなのだが、もう目の前にフィクションとは思えないレベルの「プロレス」があるせいで、逆に編集が滅茶苦茶目立ってしまい、脳がバグり、笑ってしまう「まて、ここにマットがある???ええ??これはなんだ???」と。

もしこれが他のもの、例えばカンフーだったら、こうはならない。
そもそも投げられて落とされて、受けなければならない功夫なんて聞いたことがないからだ。空手も、キックボクシングも、ぜんぶそんなことない。

そう、普通なら「アクションシーンだから」ですむところが、そこで本物のプロレスが始まると、むしろおかしなことになる。

もちろん顔面に技を受けるところも、カットごとに分ける場所がある。
つまりよくある、突然後からの絵になって、デカいフォームで殴られた人間がふっとぶ。当たってるか見えにくい後ろ側からの絵ならこれでスゴいのが当たった感じになる。

そして、普通はまったく気にならない。
なにせそんなデカく振りぬいて顔面に振ったら、下手すりゃ怪我をするから、本当に顔面に当てるほうがおかしい。これがもし有名俳優だったら、傷がついたらどえらいことになる。

しかし、これが本当のプロレスだからこそ妙になる。

受けるのがプロレス。だが、プロレス技ではなく、映画の技術により、攻撃を当てている・・・いや、実際は顔面に当てているわけではない、当てているように見せているのである。

そして顔面の傷である。
これもゼイリブの場合、倒れたところの顔を映らないようにし、次のカットでメイクで施した傷だらけの顔が映るように編集してある。べつにこれも普通だ。映画なら当たり前。

しかし、これもやはり、どー見てもプロレスをやっているのでめちゃくちゃ目立つ。なぜカットで変わったら傷が??ではない、なんでカットで傷を出すの???なのだ。
なので、こういう映画的な技術が通常の倍は目立つ。格闘技の試合系映画でも、嘘っぽい編集はわりと目立つのだが、「ぽい」ではなく「ガチ」に画面の向こうでプロレスが繰り広げられていると余計に目立ってしまう。

なぜガチなのかといえば、、このシーン、パイパーとキースは顔面以外は本当に攻撃を受け合っているからだ。映画なのに。本来当てる必要がないところまで当てているのだ。

もちろんあばらを折るような攻撃はないのだけれど、プロレスとしての当てるはしっかりやっていた。おかげで二人とも顔面以外は傷だらけ。そこが本物だからこそ、プロレスをやっているとこっちも認識する。

そして、それを5分以上もやる。

だが、これが一番笑ってしまう。

なぜ?なぜアクションシーンでプロレスを5分もやってしまうのか?プロレス的何かではなく、プロレスを、しかも路上で、喧嘩として!

ここで誰もが脳が限界を迎えてしまうのだ。アクションシーンであるのに、なぜプロレスを5分も???と。

おそらくカーペンター以外、これを真剣に見続けられない気もしている。
いや、カーペンターも笑っていた気がしてならない。
それが滅茶苦茶に面白いからOKとなったのだろう。実際滅茶苦茶面白い。だからゼイリブはプロレスの映画だと思う。

しかもこれ、最初は5分なんて長さじゃなかった。
もっと短かったのが、次第に長くなり、最終的に5分になった。
さらに撮影にはNGもあるし、一発撮りではない。期間は2日間をかけている。

そこで疑問に思った。

これは、果たしてプロレスなのか?

これを見ているとき「プロレスだ!」と僕は思ったが、同時に映画という仕組みが浮き彫りにされていくにつれ、プロレスではない、何か別のモノにすら思える不思議なシーンであることに。

いや、それはそうなのだ。

たしかに本物のプロレスラーが、画面の中でプロレスを繰り広げている。
しかし、同時にこれはアクションシーンでもあり、明らかにそうした編集、そうしたカット、そのような撮影方法がなされており、試合ではまったくないし、NGもある。
さらにシーン上では明らかに「サングラスを掛けさせるための喧嘩」という演技なのだ。

つまり事実上、プロレスではない。

他のアクションシーンと同じ方法を取っているわけだし、長回しだって使ってないし、前述のとおり、リングも観客もここにはない。アクションシーンにありがちな、人気のない裏路地での撮影。プロレスラーと俳優が、プロレスの技術を駆使するアクションシーン。映画であるいじょう、演技は演技でゴングではなく、シーンの番号からの「アクション!」からスタートする。

ところが、ゼイリブのプロレスは恐ろしいことに、SF映画のアクションシーンからプロレスに変えようとしはじめるのだ。

いや、変えるというのは正しくない。
見ている人間に「これはSF映画のアクションシーンではない!プロレスだぁあ!!」という主張を突如としてはじめる。

それほどの力がこのシーンにあるからこそ、脳がバグらされるし笑うしかなくなる。謎のシュールさが生まれている気がしてならない。

普段なら気にしない編集も、マットの存在も、カット割りも、5分以上という長さも。
何もかもがパイパーとキースの繰り広げるプロレスの凄まじい自己主張により、一気に対比として浮彫にされ、偽物感がにじみでる。そしてバカになる。

これは他のアクション映画にはまったくない。

ジャッキーだろうがドニーイェンだろうが、凄いアクションシーンだと思うし、トニージャーの古式ムエタイの当てる殺陣はヤバすぎたし、イコ・ウワイスのレイドを見た時は「あ、これ死んだな」と思った。

だが、ゼイリブでは、映画という存在そのものと対立するかのようにプロレスが戦う。

そこで思ったのは。
恐らく、プロレスと映画とは、本質的に一緒だからこそ、このような現象が起きるのでは?ということだ。


もちろんプロレスに演技力は必要だろうし、そそもキレたキャラと、口の上手さという演技力でパイパーも売れた。
けれど、同時にプロレスには本物もある。
魅せる技を仕掛け、それを受けきる技も必要なら、肉体的強さ、血と汗、怪我、そして勝負は勝負という、虚実が入り混じる幻想こそがプロレスの魅力に感じている。

そして、プロレスには物語がある。
試合自体を盛り上げる仕掛け(アングル)から、試合内容の物語(ブック)がある。

だが、それは映画も一緒である。
演技は演技だか、その演技力自体の高さを評価するのが映画であるし、アクションスターはそれが全て技であり、努力と、才能が必要で、本当の血を流すこともあれば怪我もする。つまり、虚実がそもそも入り混じってる。
そして世界観と設定というアングル、脚本というブックがある。

そう、ここでもう気が付いたと思う。

プロレスのブックとは、試合そのもの。
映画のブックとは、脚本のことだ。


ということは、つまり。
映画の中で、プロレスをはじめた場合、それは
ブックの中にブックが出来てしまうのでは???

プロレスとは、映画と同じレベルのエンタメ性を持つ、別の作品であり、作中でプロレスをやると、エンタメ作品の中に別のエンタメ作品が生まれ、見ている人間が混乱してしまうのでは?

いや、ありえない、いやでも

プロレス映画というのは他にもあるが、それはアングルという世界観ができており、その中でブック、つまりプロレスをやるから自然なのかもしれない。ミキーロークのレスラーみたいに。

だが、まったく関係ないアングルのなかで、さらにすでにあるブックの中で、もう一つ別の、プロレスというブックが始まってしまったなら・・・

つまり、ゼイリブのプロレスの面白さというのは、メタフィクションなのではないか???

例えば映画の中で突然メタフィクションがはじまることがある。しかも、なんの前触れもなく始まることがタマにあるが、その時「今何がおきているんだ?」と頭がバグりはじめ、今まで気にしていなかった映画の仕組みに、とてつもない偽物感が一気に溢れ、編集、カットといったものまでもが・・・だが、いや・・・これはあのゼイリブのプロレスシーンと・・・


・・・いや、考えすぎなだけかもしれない。
これは思いついたが、さすがに頭がおかしいので動画の脚本に組み込むことはやめた。面白いとは思うけど、さすがにそうはならんだろ、と。

だが、この記事を書いている時点でわかっているだろう。
僕は、この思考がしばらく頭から抜けておらず、ゼイリブのプロレスシーンについてばかり考える変人になりつつあるので、そろそろ止めようと思う。だが、映画がプロレスと同じなら、プロレスの中でプロレスをやっているわけになる
そういえば、映画は人生ともいう。
つまりプロレスの中でプロレスをやりプロレスをやることもあるわけだ。
だったら世界もプロレスをなのでは?
この世は虚構だ、何一つ確かなことなどないのに、確かなことばかりあるなら、これもプロレスなのでは?
ではプロレスの中でプロレスをやりプロレスの中でプロレスを?
いやまて、世界より上位の世界もプロレスの可能性は否定できない。次元ごとにプロレスがあるならば、プロレスの中のプロレスの中のプロレスの中のプロレスの中のプロロロロロロロロロロロraija



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