師弟対話「変わりゆく時代と選択の考え方 『一番良い』ってなに」

師匠の頭の中

ある日の午後、弟子が私に質問をしてきた。「師匠、このやり方が一番良いんですよね?」その言葉が耳に入った瞬間、私は少し違和感を覚えた。「一番良い」とは、どういう基準で決まるのだろうか?そして、それは本当に一度決まったら永遠に変わらないものなのか?

弟子の言葉に含まれる「一番」という確信が、どこか固定的で、時代や状況に応じて変化するという現実を見逃しているように感じた。どうやってこの思いを伝えればよいのか、頭の中で言葉を探し始めた。

時代や価値観は常に変わる。厳しく指導することが良いとされていた時代もあれば、今ではその考えがパワハラとされる。男らしさや女らしさを強調することが当たり前だった時代も、今ではその考え方がジェンダーハラスメントと見なされることがある。時代によって「正しい」や「良い」は変化するものだ。

そう考えると、「一番良い」という言葉に、どうしても違和感を感じざるを得なかった。弟子に何と諭せばいいのか。すぐに答えを出すのは難しかったが、少し笑いを交えながら彼に語りかけた。

「一番良いなんて、簡単に言えるものじゃないよ。むしろ、それが変わるものだということを理解しておいた方がいいんだ。」


師匠と弟子の対話

弟子: 師匠、この方法が一番良いんですよね?以前からそうだと教わってきましたし、今も変わらないと思うのですが。

師匠: それは面白い質問だ。だが、"一番良い"というものは、常に同じとは限らないんだよ。

弟子: どういう意味でしょうか?一番良い方法があるなら、それを使い続ける「べき」では?

師匠: (笑)今の「べき」って言葉が、実は少し引っかかるな。何かを「べき」だと断言するのは、必ずしも正しくないかもしれない。その時の状況によって変わるものだからね。
 一番良い方法というものは、その時代や状況によって変わるものだ。たとえば、第二次世界大戦では、昭和20年8月15日までアメリカは敵だった。それが終戦後には、アメリカは味方となり、協力し合う相手となった。昨日まで敵だったものが、今日からは仲間になる。こうした変化は歴史でも社会でも起こるんだ。
 そして、日本が降伏をしようとしていた天皇の言葉のレコードを、当時の陸軍は奪おうとしていたのだ。今思えば、おかしいと思わないか。陸軍はそれが「一番いい」と思い、「やるべきだ」と考えていたのだ。

弟子: 確かに、時代の変化というのは大きなものですね。でも、それは歴史的なことだから、日常的な仕事には関係ないのでは?

師匠: そうでもない。例えば、昔は部下を厳しく指導することが「彼らのため」とされていたが、今ではそのような厳しい指導がパワハラとみなされることもある。また、ジェンダーハラスメントの問題でも、昔は「男は男らしく、女は女らしく」といった、「男らしさ」や「女らしさ」を強調することが普通だったが、今ではそうした発言すら避ける「べき」ものとされている。何が良いか、何が正しいかは、常に変わるものだよ。

弟子: なるほど、価値観が時代とともに変わるんですね。それでは、今の「一番良い方法」はどうやって決めれば良いのでしょうか?

師匠: その時、その状況で、権限を持つ者が決めたことが「一番良い」とされることが多い。それがその瞬間の最善の判断ということになるんだ。つまり、絶対的な「一番良い方法」は存在しない。変化し続けるものだからね。

弟子: 確かに…そう考えると、過去に囚われるのではなく、今の状況に応じた判断をすることが大事ですね。

師匠: その通り。「今これが最善だ」と思って全力を尽くせばいい。その結果が間違いだったと判明したら、次の時代にはまた別の選択をすればいいだけのことだよ。でも、そう言いながらも、「これが最善だ」と断言するのもまた、未来が不確実な時代には少し大胆かもしれない。どこかで柔軟に変化を受け入れる準備も必要だね。

弟子: なるほど。過去の方法にこだわらず、柔軟な心構えが大切なんですね。ありがとうございます、師匠。

師匠: 良いか悪いかの判断はいつも変わるものだから、柔軟であることが肝心なんだよ。忘れずにな。そして、「良い、悪い」が圧倒的に差があるものではない。70対30の割合で70のほうがいいとかではない。51対49ぐらいが関の山だろう。どっちをとっても同じとも思っている。



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